1. おいしいものを前にすると、つい飲み込んでいる

目の前においしそうなものが出てくると、気づいたときにはもうお皿が空になっていた。そんな経験はありませんか。

私自身、食べることへの執着が強いほうだと思います。甘いものも辛いものも好きで、おいしいものを前にすると、味わう前にほとんど噛まずに飲み込んでしまうことがあります。この食べ方は、たぶん父親譲りです。

これまでの記事で「原因と結果(因果)」について考えてきましたが、今回はそれを、いちばん身近な「食べること」に当てはめてみたいと思います。きっかけは、もうすぐ一周忌を迎える父のことでした。

2. 塩辛いものが好きだった父のこと

父は、辛いもの、塩辛いもの、塩分の強いものが大好きな人でした。本人もそう話していましたし、実際によく食べていました。

脳梗塞というと、ある日突然倒れるイメージがあるかもしれません。父の場合は違いました。病院で検査を受けたとき、何年も前にできた脳梗塞の跡が何か所も見つかったのです。本人も気づかないまま、少しずつ積み重なっていたのだと思います。

そこから父は、徐々に歩けなくなっていきました。足を一歩前に出すことが、本当に大変そうでした。

本人が決めるまで、待つことにした

当時、私は父と二人で暮らしていました。その前の年に母親は亡くなりました。私は事務所で仕事もしなければならず、夜は一時間おきにトイレに起きる父に、24時間付き添うことはできませんでした。

それでも、施設に入るかどうかは父自身に決めてほしいと思っていました。それまでにも、母と一緒に高齢者向けの住宅に入ったり、脳梗塞で入退院を繰り返したりと、いろいろなことがありました。最終的に父が「もう限界だな」と自分から言い、私がすすめていた近所の有料老人ホームに入ることになりました。

入所してほどなく、父は自分で歩くことができなくなり、車椅子の生活になりました。1年半ほど暮らしたあと、血圧の上昇や肺炎の症状で入院。1月に入院してから、少しずつ体が動かなくなり、寝返りも打てなくなり、食べ物を飲み込むこともできなくなっていきました。最後の3か月ほどは、鼻から栄養を入れていました。

毎週お見舞いに行っていましたが、次第に眠っている時間が長くなっていきました。そして11月、父は亡くなりました。

💡 振り返って思うこと

父の場合、「ある日突然」ではありませんでした。何年もかけて、少しずつ。原因と結果は、それくらい静かに進んでいくのだと感じています。

3. お釈迦さまは「何のために食べる」と説いたのか

テーラワーダ仏教の長老の法話を読んでいて、食べ物についてのお話に出会いました。

お釈迦さまは出家者に、食事の前に「よく観察してから食べなさい」と教えています。パーリ経典に伝わる食事の観察の言葉を、私なりに訳すと次のようになります。

よく考えて、この食事をいただきます。
遊び楽しむためではなく、おごり高ぶるためではなく、体を飾るためでも、美しく見せるためでもありません。
ただ、この体を保ち、いのちをつなぎ、苦しみを和らげ、修行を支えるためです。
こうして、以前の苦しみ(空腹)を取り除き、新たな苦しみ(食べすぎ)を起こしません。
そうして私は、過ちなく、穏やかに暮らしていけるでしょう。

(パーリ経典「食事の観察」より・筆者訳)

長老のお話によると、出家者はこの言葉を心に念じてから食事をするそうです。おいしい・まずい、好き・嫌いといった食べ物への感情をいったん切り離し、「この体を維持するため」という一点に戻るわけです。満腹になるまで食べないこと、しょっちゅう食べないこと、人に食べ物をねだらないことも、戒律で定められています。

一方で、アレルギーなど体質に合わせた食事をとることや、病気を治すために必要な食べ物を求めることは認められているそうです。仏教の食事への向き合い方は、意外なほど常識的です。「特定の食べ物で心が清らかになる」といった考え方はとらない、という点も印象に残りました。

4. 「食べるために生きる」になっていないか

長老は、私たちは「生きるために食べる」のではなく、いつの間にか「食べるために生きる」ようになっている、と指摘しています。食材や料理に多くの時間とお金をかけ、食べ終わったそばから次は何を食べようかと考えている。食べることへの執着は、やがて衰えていく体への執着であり、心を育てることをおろそかにしてしまう、というお話でした。

ダンマパダ(法句経)325番にも、大食についての言葉があります。

怠けて大食いし、眠りこけては寝返りばかり打っている者は、餌で太らされた大きな豚のようだ。その愚かな者は、何度も生まれ変わりを繰り返す。

(ダンマパダ 第325偈・筆者訳)

正直なところ、耳の痛い言葉です。ただ私は、これを「食べることを楽しむ人は悪い」という話だとは受け取っていません。自分が何をしているのか見えないまま、ただ食べ続けている状態への注意なのだと思います。

食欲への執着を仏教で見つめる——塩辛いものが好きだった父が教えてくれたこと
5. 食べ物の原因と結果は、静かに進む

今日食べたものが、明日すぐに病気につながるわけではありません。だからこそ気づきにくいのです。父の脳梗塞がそうだったように、何年もかけて少しずつ体に現れてきます。

一般的には、次のような関係が知られています。

  • 塩分のとりすぎは高血圧につながり、脳梗塞・脳出血・心筋梗塞のリスクを高めます。塩分の多い食事は胃がんとの関係も指摘されています
  • 甘いものや食べすぎは肥満や2型糖尿病につながり、血管が傷んで動脈硬化が進みやすくなります
  • 辛い料理は味つけが濃くなりやすく、知らないうちに塩分も多くなりがちです
  • 早食い・丸呑みは、満腹を感じる前に食べすぎてしまう原因になります
  • 熱すぎる飲食物や飲酒・喫煙は食道がん、加工肉のとりすぎや肥満は大腸がんのリスクとの関係が指摘されています

※一般的な情報です。持病のある方や気になる症状のある方は、医師にご相談ください。脳梗塞は自覚症状のないまま進むこともあるため、日ごろの血圧測定や定期的な健診が大切です。

仏教でいう「因果」は、何か神秘的な話ではなく、こうした当たり前の積み重ねのことだと私は思っています。お釈迦さまが「体を維持する程度に食べなさい」と説いたのは、心の修行のためであると同時に、体にとっても理にかなっていたのでしょう。

6. 今日からできる、食卓での小さな観察

とはいえ、いきなり出家者のように食べることはできません。私もできていません。そこで、瞑想と同じように「気づく」ことから始めてみてはいかがでしょうか。

  • 食べる前にひと呼吸おいて、「何のために食べるのか」と心の中で一度だけ問いかける
  • 一口入れたら、いったん箸を置いてみる(丸呑みに気づきやすくなります)
  • 「しょっぱい」「甘い」「辛い」と、味を心の中で言葉にしてみる
  • 次の一口に手が伸びたとき、「食べたいのか、食べたいだけなのか」を確かめる
  • 年に一度は健診を受け、自分の血圧の数字を知っておく

できなかった日があっても大丈夫です。「あ、また丸呑みしていた」と気づけたなら、それがもう観察です。

父の一周忌が近づいています。父が身をもって教えてくれたことを、食卓の前でひと呼吸おくという形で、少しずつ続けていきたいと思います。

7. よくある質問
Q. 仏教では、食事を楽しんではいけないのですか?
出家者には厳しい戒律がありますが、在家の私たちに同じことが求められているわけではありません。大切なのは、「おいしい」という気持ちに振り回されて食べすぎていないかに気づくことだと思います。
Q. 早食い・丸呑みのくせは、どうすれば直りますか?
一口ごとに箸を置く、よく噛んで味を言葉にする、といった小さな方法が役に立ちます。力んで直そうとするより、「また早食いしていた」と気づく回数を増やすほうが長続きします。
Q. 好きな甘いものや辛いものは、やめるべきですか?
一切やめる必要はないと思います。量や頻度に気づき、「今日はこれで十分」と区切れることが大切です。持病のある方は、医師の指示に従ってください。
Q. 親の介護や施設への入所は、どう決めればよいのでしょうか?
家庭ごとに事情が違うため、正解はありません。私の場合は、本人が自分で納得して決めるまで待つことを大切にしました。ひとりで抱え込まず、地域包括支援センターなどの窓口に相談するのもひとつの方法です。
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