変な夢ばかり見るのはなぜ?——夢も「妄想」だと知ると、夜が少し静かになる

因果のはなし

1. 自分の大声で、はっと目が覚める

私は、夢をたくさん見るほうです。眠りが浅いのだと思います。

しかも、見る夢がたいてい変な夢です。怖い目にあう夢、誰かに本気で腹を立てている夢。夢の中でブチ切れて大声を出し、その自分の声で、はっと目が覚めることもあります。

目が覚めても、嫌な気分だけが体にべったり残っている。そのままトイレに行って、もう一度寝ようとするのですが、胸のざわざわが消えなくて眠れない。そんな夜がときどきあります。

こういうこと、ありませんか?

毎朝、瞑想を続けています。それでも夢はこの調子です。瞑想を続けていけば、いつかこういう夢は見なくなるのだろうか——。ちょうどそんなことを考えていたとき、同じ疑問をスマナサーラ長老にぶつけた人の質疑を読みました。

2. 夢は「寝ている間の妄想」だった

長老の答えは、拍子抜けするほどあっさりしていました。夢というのは、誰が見ても妄想。だから、そんなに気にすることはない、と。

言われてみれば、私たちは起きているときも妄想しています。昔の出来事を思い出して腹を立てたり、まだ起きてもいないことを心配したり。現実とは関係のない話を頭の中で勝手に作っているという点では、夢とまったく同じです。

ちがうのは、眠っているか、起きているかだけ。夢は、寝ている間も止まらない妄想の続きなのです。

夢が妄想の延長なら、あれだけ変な夢を見る自分は、昼間もそれだけ妄想しているということになります。朝30分や40分の瞑想では、とても心はきれいにならないんだなあ、と。

3. 夢の材料は、昼間の「感情」

では、その妄想は何から生まれるのか。長老は「感情」だと言います。気分が悪くなった、好きになった、欲しくなった、プライドが傷ついた——そうした感情が入ってくると、心は勝手に話を作り始める、と。

怒り「なんであの人は、あんなことを」と、一人で相手を責める話が続く
欲「よかったなあ」「もう一度見たい」と、同じ場面を何度もくり返す
興奮・プライド傷ついた、見返したい、という気持ちが、さらに話を膨らませる

夢の中でも同じことが起きている、というのが長老の説明です。

自分の夢に当てはめてみると、思い当たることばかりでした。大声で目が覚めるような怒りの夢は、昼間に飲み込んだはずの怒りの続き。仏教でいう「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」——欲と怒りと無知——が、自分の中でまだまだ大きいということなのでしょう。夢は、ごまかしがききません。

4. 「放っておきなさい」に、少し救われた

ただ、長老の話には続きがありました。

夢の中は、どうがんばってもコントロールできない。だから、そこは放っておいてください、というのです。気をつけるべきは、起きている間の妄想のほうだ、と。

💡 起きている間の妄想は「損」

生きている時間は短い。妄想している時間の生産性はゼロ。だから、妄想する時間をとことん減らすこと——というのが長老の考え方です。

最初は「しょうがない、と言われても……」と、ちょっと突き放されたような気がしました。でも何度か読み返すうちに、これは救いの言葉なのだと思えてきました。

夢の内容で自分を責めても、何も変わらない。変えられるのは、目が覚めている間の心のほうだけ。だったら、手の届くところから始めればいい。そう考えると、少し肩の力が抜けました。

もちろん長老も、夢はどうでもいいと言っているわけではありません。興奮する夢を朝まで見続けると、体がしっかり休めない。夢を見ずにぐっすり眠れたほうが、次の日がんばれる。静かな眠りのほうが得であることに、変わりはないのです。

5. 夢をつくる、もうひとつの原因は「体調」

長老の話で、いちばん「なるほど」と思ったのがここです。仏典の注釈書には、夢の原因がもうひとつ挙げられているそうです。それが「体調」。

足が痛む、お腹の調子が悪い、食べたものが重くて消化に時間がかかっている。体のどこかに変化があると、神経が刺激されて脳に伝わり、脳が幻のような映像を作り出すのだそうです。

おもしろいのは、ときに「反対」の夢になるという話です。ごちそうをたくさん食べる夢を見たときは、むしろお腹の調子が悪いのかもしれない。体の不調を、頭が逆の形で描いてしまうことがあるのです。

これを読んで思い当たったのが、夜中のトイレです。去年くらいまでは一晩に一回だったのが、最近は二回起きるようになりました。眠りが細切れになれば、夢を見る回数も増えるし、変な夢も混ざりやすくなる。変な夢が多いのは、心だけの問題ではなかったのかもしれません。

そう思えたら、少しほっとしました。悪い夢を見たからといって、自分の心を責めすぎる必要はないのです。

6. 瞑想を続けると、夢はどう変わるのか

さて、いちばん知りたかった質問です。ヴィパッサナー瞑想を続ければ、夢は見なくなるのでしょうか。

長老の答えは「ケースバイケース」。一般的には、かなり少なくなるそうです。しっかり瞑想して頭を使った日は、すっと深く眠れる。感情に引っぱられる心を制御できるようになるほど、夢もその分減っていく、と。

ただし、完全に消えるとは言えないとも付け加えています。仏典にも「瞑想の達人は夢を見ない」という記述はないそうです。どれだけ修行が進んでも、体調を崩すことはある。体から来る夢までは止められないのです。

では、何が変わるのか。長老の結論はこうでした。

💡 長老の結論

嫌な夢、変な夢は減る。夢の中で怒ったり、欲を出したり、悪いことをしたりする夢は消えていく。かわりに、穏やかで気分のよくなる夢に変わっていく。ひとことで言えば——「悪夢は見なくなります」。

「夢を見なくなる」ではなく、「悪夢を見なくなる」。この正直な言い方に、私はかえって安心しました。完璧を目指さなくていい。怒りで飛び起きる夜が、少しずつ減っていけばいいのです。

7. 両親の夢で、泣きながら目が覚める朝

変な夢ばかり、と書きましたが、良い夢もたまにはあります。

振り返ると、とても良い人との出会いがあった時期や、心が満たされていた時期には、幸せな夢を見ていました。ただ、これまでの人生でそういう時期は本当に短かった。良い夢が少し続くこともありますが、たいていは単発で、ぽつんと見るくらいです。

私の場合、よく夢に出てくるのが両親です。たまに父と大げんかしている夢も見ますが、両親が出てくる夢は、だいたい良い夢です。夢の中で両親がとても優しくしてくれて、私はワンワン泣いている。そのまま目が覚めて、顔が涙だらけになっていることもあります。

そんな朝は、不思議と心が軽くなっています。ひょっとすると、夢の中で何かをはき出しているのかもしれません。

長老の話と重ねてみると、夢はやはり昼間の心を映す鏡なのだと思います。心が荒れている時期は夢も荒れ、満たされている時期は夢も穏やかになる。怒りの夢は、まだ手放せていない怒りがあるというサイン。穏やかな夢は、心が少し落ち着いてきたというサイン。そう受け取れば、悪い夢も、ただ嫌なだけのものではなくなります。

変な夢ばかり見るのはなぜ?——夢も「妄想」だと知ると、夜が少し静かになる
8. 夢を変えたくて、布団を替えてみたけれど

実は、少しでも良い夢を見たくて、布団を替えてみたりもしました。でも、夢はなかなか変わりません。

長老の話を読んだ今なら、理由がわかります。夢の材料は、昼間の感情と体調。布団の上でいくら工夫しても、材料が同じなら、出てくる夢も同じなのです。

だから、これからは順番を変えてみようと思っています。夢そのものではなく、夢の材料のほうに手を入れる。いま試してみようと思っているのは、こんな小さなことです。

  • 寝る前に、今日いちばん引っかかっていることを一つ思い出し、「まだ持ってるな」と気づくだけにする
  • 布団に入ったら、お腹の「膨らむ、縮む」をしばらく感じてから眠る
  • 夕食を重くしすぎない。消化の負担も、夢の材料になる
  • 嫌な夢で目が覚めたら、「夢だった。妄想だった」と心の中で確認して、内容は追いかけない

どれも数十秒で終わることばかりです。それでも、怒りの夢で飛び起きる夜が一回でも減れば十分。朝の瞑想を続けながら、気長に付き合っていこうと思います。

9. よくある質問
Q. 怖い夢や怒りの夢ばかり見るのは、心が汚れているからですか?

そうとは限りません。長老の話にあるように、夢には感情だけでなく体調も関わっています。眠りが浅い時期や、夜中に何度も目が覚める時期には、誰でも変な夢を見やすくなります。夢の内容で自分を責めるより、昼間の心と体を整えることに目を向けてみてください。

Q. 瞑想を続ければ、夢をまったく見なくなりますか?

長老は「ケースバイケース」と答えています。夢は全体として減っていくものの、体調から来る夢まではなくならない、と。仏典にも「瞑想の達人は夢を見ない」という記述はないそうです。目指すのは夢をゼロにすることではなく、悪夢が減って穏やかな夢に変わっていくことです。

Q. 嫌な夢で夜中に目が覚めて、眠れなくなります。

夢の内容を思い返し始めると、それ自体が新しい妄想になって、目が冴えてしまいます。「夢だった」と一度確認したら、内容は追いかけず、呼吸やお腹の動きに意識を戻してみてください。眠ろうと力むより、ただ感じているほうが自然に眠りに戻りやすくなります。

Q. 気持ちのいい夢なら、見ていてもいいのですか?

夢の中のことはコントロールできないので、見てしまうのは仕方がありません。ただ、目が覚めてから「もう一度見たい」と追いかけ始めると、それは欲の妄想になります。良い夢も悪い夢も、「夢だった」と気づいたら手放す。それで十分です。

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食欲への執着を仏教で見つめる——塩辛いものが好きだった父が教えてくれたこと
1. おいしいものを前にすると、つい飲み込んでいる

目の前においしそうなものが出てくると、気づいたときにはもうお皿が空になっていた。そんな経験はありませんか。

私自身、食べることへの執着が強いほうだと思います。甘いものも辛いものも好きで、おいしいものを前にすると、味わう前にほとんど噛まずに飲み込んでしまうことがあります。この食べ方は、たぶん父親譲りです。

これまでの記事で「原因と結果(因果)」について考えてきましたが、今回はそれを、いちばん身近な「食べること」に当てはめてみたいと思います。きっかけは、もうすぐ一周忌を迎える父のことでした。

2. 塩辛いものが好きだった父のこと

父は、辛いもの、塩辛いもの、塩分の強いものが大好きな人でした。本人もそう話していましたし、実際によく食べていました。

脳梗塞というと、ある日突然倒れるイメージがあるかもしれません。父の場合は違いました。病院で検査を受けたとき、何年も前にできた脳梗塞の跡が何か所も見つかったのです。本人も気づかないまま、少しずつ積み重なっていたのだと思います。

そこから父は、徐々に歩けなくなっていきました。足を一歩前に出すことが、本当に大変そうでした。

本人が決めるまで、待つことにした

当時、私は父と二人で暮らしていました。その前の年に母親は亡くなりました。私は事務所で仕事もしなければならず、夜は一時間おきにトイレに起きる父に、24時間付き添うことはできませんでした。

それでも、施設に入るかどうかは父自身に決めてほしいと思っていました。それまでにも、母と一緒に高齢者向けの住宅に入ったり、脳梗塞で入退院を繰り返したりと、いろいろなことがありました。最終的に父が「もう限界だな」と自分から言い、私がすすめていた近所の有料老人ホームに入ることになりました。

入所してほどなく、父は自分で歩くことができなくなり、車椅子の生活になりました。1年半ほど暮らしたあと、血圧の上昇や肺炎の症状で入院。1月に入院してから、少しずつ体が動かなくなり、寝返りも打てなくなり、食べ物を飲み込むこともできなくなっていきました。最後の3か月ほどは、鼻から栄養を入れていました。

毎週お見舞いに行っていましたが、次第に眠っている時間が長くなっていきました。そして11月、父は亡くなりました。

💡 振り返って思うこと

父の場合、「ある日突然」ではありませんでした。何年もかけて、少しずつ。原因と結果は、それくらい静かに進んでいくのだと感じています。

3. お釈迦さまは「何のために食べる」と説いたのか

テーラワーダ仏教の長老の法話を読んでいて、食べ物についてのお話に出会いました。

お釈迦さまは出家者に、食事の前に「よく観察してから食べなさい」と教えています。パーリ経典に伝わる食事の観察の言葉を、私なりに訳すと次のようになります。

よく考えて、この食事をいただきます。
遊び楽しむためではなく、おごり高ぶるためではなく、体を飾るためでも、美しく見せるためでもありません。
ただ、この体を保ち、いのちをつなぎ、苦しみを和らげ、修行を支えるためです。
こうして、以前の苦しみ(空腹)を取り除き、新たな苦しみ(食べすぎ)を起こしません。
そうして私は、過ちなく、穏やかに暮らしていけるでしょう。

(パーリ経典「食事の観察」より・筆者訳)

長老のお話によると、出家者はこの言葉を心に念じてから食事をするそうです。おいしい・まずい、好き・嫌いといった食べ物への感情をいったん切り離し、「この体を維持するため」という一点に戻るわけです。満腹になるまで食べないこと、しょっちゅう食べないこと、人に食べ物をねだらないことも、戒律で定められています。

一方で、アレルギーなど体質に合わせた食事をとることや、病気を治すために必要な食べ物を求めることは認められているそうです。仏教の食事への向き合い方は、意外なほど常識的です。「特定の食べ物で心が清らかになる」といった考え方はとらない、という点も印象に残りました。

4. 「食べるために生きる」になっていないか

長老は、私たちは「生きるために食べる」のではなく、いつの間にか「食べるために生きる」ようになっている、と指摘しています。食材や料理に多くの時間とお金をかけ、食べ終わったそばから次は何を食べようかと考えている。食べることへの執着は、やがて衰えていく体への執着であり、心を育てることをおろそかにしてしまう、というお話でした。

ダンマパダ(法句経)325番にも、大食についての言葉があります。

怠けて大食いし、眠りこけては寝返りばかり打っている者は、餌で太らされた大きな豚のようだ。その愚かな者は、何度も生まれ変わりを繰り返す。

(ダンマパダ 第325偈・筆者訳)

正直なところ、耳の痛い言葉です。ただ私は、これを「食べることを楽しむ人は悪い」という話だとは受け取っていません。自分が何をしているのか見えないまま、ただ食べ続けている状態への注意なのだと思います。

食欲への執着を仏教で見つめる——塩辛いものが好きだった父が教えてくれたこと
5. 食べ物の原因と結果は、静かに進む

今日食べたものが、明日すぐに病気につながるわけではありません。だからこそ気づきにくいのです。父の脳梗塞がそうだったように、何年もかけて少しずつ体に現れてきます。

一般的には、次のような関係が知られています。

  • 塩分のとりすぎは高血圧につながり、脳梗塞・脳出血・心筋梗塞のリスクを高めます。塩分の多い食事は胃がんとの関係も指摘されています
  • 甘いものや食べすぎは肥満や2型糖尿病につながり、血管が傷んで動脈硬化が進みやすくなります
  • 辛い料理は味つけが濃くなりやすく、知らないうちに塩分も多くなりがちです
  • 早食い・丸呑みは、満腹を感じる前に食べすぎてしまう原因になります
  • 熱すぎる飲食物や飲酒・喫煙は食道がん、加工肉のとりすぎや肥満は大腸がんのリスクとの関係が指摘されています

※一般的な情報です。持病のある方や気になる症状のある方は、医師にご相談ください。脳梗塞は自覚症状のないまま進むこともあるため、日ごろの血圧測定や定期的な健診が大切です。

仏教でいう「因果」は、何か神秘的な話ではなく、こうした当たり前の積み重ねのことだと私は思っています。お釈迦さまが「体を維持する程度に食べなさい」と説いたのは、心の修行のためであると同時に、体にとっても理にかなっていたのでしょう。

6. 今日からできる、食卓での小さな観察

とはいえ、いきなり出家者のように食べることはできません。私もできていません。そこで、瞑想と同じように「気づく」ことから始めてみてはいかがでしょうか。

  • 食べる前にひと呼吸おいて、「何のために食べるのか」と心の中で一度だけ問いかける
  • 一口入れたら、いったん箸を置いてみる(丸呑みに気づきやすくなります)
  • 「しょっぱい」「甘い」「辛い」と、味を心の中で言葉にしてみる
  • 次の一口に手が伸びたとき、「食べたいのか、食べたいだけなのか」を確かめる
  • 年に一度は健診を受け、自分の血圧の数字を知っておく

できなかった日があっても大丈夫です。「あ、また丸呑みしていた」と気づけたなら、それがもう観察です。

父の一周忌が近づいています。父が身をもって教えてくれたことを、食卓の前でひと呼吸おくという形で、少しずつ続けていきたいと思います。

7. よくある質問
Q. 仏教では、食事を楽しんではいけないのですか?
出家者には厳しい戒律がありますが、在家の私たちに同じことが求められているわけではありません。大切なのは、「おいしい」という気持ちに振り回されて食べすぎていないかに気づくことだと思います。
Q. 早食い・丸呑みのくせは、どうすれば直りますか?
一口ごとに箸を置く、よく噛んで味を言葉にする、といった小さな方法が役に立ちます。力んで直そうとするより、「また早食いしていた」と気づく回数を増やすほうが長続きします。
Q. 好きな甘いものや辛いものは、やめるべきですか?
一切やめる必要はないと思います。量や頻度に気づき、「今日はこれで十分」と区切れることが大切です。持病のある方は、医師の指示に従ってください。
Q. 親の介護や施設への入所は、どう決めればよいのでしょうか?
家庭ごとに事情が違うため、正解はありません。私の場合は、本人が自分で納得して決めるまで待つことを大切にしました。ひとりで抱え込まず、地域包括支援センターなどの窓口に相談するのもひとつの方法です。
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内気なままでいい。本多信一「幸福に生きた内気なネコの話」が教えてくれること

「内気な性格を、なんとかしなきゃ」と思ったことはありませんか。人前でうまく話せない。にぎやかな場所にいると、なぜかぐったり疲れてしまう。

今回は、そんな人にそっと寄り添ってくれる短いお話、本多信一さんの「幸福に生きた内気なネコの話」をご紹介します。

1. どんなお話?

一匹の内気なネコが、生まれてから十三歳になるまでを、年齢ごとの短い言葉でふり返っていく物語です。

派手な事件が起こるわけではありません。けれど読み終えると、胸の奥が少しあたたかくなる。そんな静かなお話です。

2. 内気なネコがたどった十三年
  • 〇歳生まれてすぐ、母ネコと離ればなれになります。まだ歩くこともできないころでした。
  • 〇.一歳食べものを探して外へ出ても、やさしそうな声の先で冷たい仕打ちにあいます。世界から見放されたように感じる日々でした。
  • 一歳料亭に拾われ、看板ネコとして人々を笑顔にする役目を担います。かわいがられながらも、心の中ではずっと何かと闘っていました。
  • 四歳店がなくなって町へ戻ると、犬に襲われ、死の恐怖を味わいます。そこで初めて「生きたい」と強く願います。
  • 六歳ネコたちの集まりで「人生でいちばん大切なもの」が話題に。「声の大きさだ」と言い切る仲間を前に、ネコは黙って、自分は小さな声のままでいいと思います。
  • 八歳体調を崩しながらも、ねずみをとる工夫を重ねます。何かを得れば何かを手放す。過ぎたことは追わず、前へ進みます。
  • 九歳長い病の中で母の夢を見ます。夢の母は、ネコが幼いころと何も変わっていないことを告げます。
  • 一三歳長い道のりの末に気づきます。自分は最初から自分だったのだと。母はもういないけれど、いつも一緒にいるのだと。
3. 「声の大きさ」より大切なもの

世の中では、はっきり主張できる人、声の大きい人が評価されやすいものです。会議でも学校でも、「もっと積極的に」と言われた経験がある方は多いのではないでしょうか。

でもこのネコは、声の大きさを競う輪に加わりませんでした。ただ静かに聞き、自分は小さな声のままでいいと決めたのです。

💡 ポイント

内気な人がもっている「よく聞く力」「じっくり考える力」は、弱さではなく、その人らしい強さです。無理に大きな声を出さなくても、ちゃんと生きていけます。

4. 遠回りも、ぜんぶ自分の道

人に合わせて笑顔をふりまいた時期。怖い思いをした時期。病に伏せた時期。ネコの十三年は、遠回りの連続に見えます。

けれど最後にネコは、その長い道のりも、結局は「自分の中を歩いてきただけ」だったと気づきます。どの時期も、自分に戻ってくるために必要な道だったのです。

こんなことはありませんか。

  • 人に合わせて笑ったあと、ひとりになるとぐったり疲れてしまう
  • にぎやかな集まりより、静かな時間にほっとする
  • 「もっと積極的に」と言われるたびに、自分を責めてしまう
  • 大切な人との別れを、いまも心のどこかで抱えている

ひとつでも当てはまるなら、このネコの話はきっとあなたに届くはずです。変わらなくていい。失ったものも、離れた人も、心の中でちゃんと一緒にいる。この物語は、そう静かに教えてくれます。

内気なままでいい
5. よくある質問
Q. 内気な性格は、直したほうがいいのでしょうか?

無理に直す必要はありません。内気さは「欠点」ではなく「持ち味」です。大切なのは、自分に合った人との関わり方や、働き方・暮らし方を見つけることです。

Q. 人づきあいで疲れてしまうときは、どうすればいいですか?

ひとりで静かに過ごす時間を、意識して予定に入れてみてください。散歩や自然の中で過ごす時間は、心を回復させる助けになります。

Q. こうした生きづらさについても相談できますか?

はい、できます。社会福祉士として、働き方や人間関係、これからの生き方についてのご相談をお受けしています。うまく言葉にできなくても大丈夫です。

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「食べたい」のか「食べたいだけ」なのか。56歳、甘いものと向き合ってみた

人生相談コラム

〜 食べたいのか、食べたいだけなのか 〜


1. 今日も「何を食べようか」ばかり考えている

毎朝4時半に起きて、近所の神社まで歩いて、少しのあいだ座ってきます。帰ってくるとまだ6時前です。

頭の中は静かになっているはずなのに、台所に立った瞬間、もう考えているのです。今日の昼は何にしようか。あの店のあれが食べたい。そういえば戸棚にまだお菓子が残っていたな、と。

56歳になりました。この歳になっても、私の一日はかなりの時間を「何を食べるか」に使っています。甘いものが我慢できません。食べないほうがいいと分かっている夜ほど、なぜか手が伸びます。

この文章は、それを克服した人間が書いているものではありません。今も執着したままの人間が、ときどきだけ、するりとそこから抜けられる瞬間があって、そのときに何が起きているのかを書いています。

2. 「お腹が空いた」と「食べたい」は、別のものだった

あるとき、ふと気づいたことがあります。

お腹は、鳴っていないのです。

昼をしっかり食べた三時間後。胃は明らかに満ちている。それなのに、甘いものが欲しい。つまりこれは、体が「足りない」と言っているのではない。体ではなく、心のほうが呼んでいるのです。

私たちはこの二つを、ずっとひとまとめにして「お腹が空いた」と呼んできました。でも本当は別物です。

💡 ここだけ覚えていただければ十分です

空腹=体からの信号。食べたい=心からの信号。この二つは、まったく別のところから来ています。

3. 味を知っているのは、舌だけ

仏教では昔から、人間が外の世界を受け取る窓口は六つしかない、と説明されてきました。目、耳、鼻、舌、体、そして心です。

この考え方が面白いのは、ひとつの窓口は、ごく一部しか受け取っていないという点です。

  • 目が受け取っているのは、形と色だけ
  • 鼻が受け取っているのは、香りだけ
  • 舌が受け取っているのは、味だけ
  • 手が受け取っているのは、かたさと温度だけ

目の前のケーキひとつをとっても、私はその全体を知ってはいません。ばらばらに届いた断片を、頭の中で組み立てて「あのケーキは最高だ」と思い込んでいるだけなのです。

体調の悪い日は、大好物でもおいしくない

思い当たることがあるはずです。風邪をひいた日に、大好きなうなぎを食べても、ちっともおいしくない。イライラしている日は、好きな音楽さえうるさく感じる。

これは、おいしさが食べ物の側にあるのではないということです。おいしさは、こちらの状態の側にある。

同じケーキが、日によって最高にもなれば、なんでもないものにもなる。だとすれば、私が追いかけているのは本当にそのケーキなのでしょうか。

4. 気がつくと、主導権が食べ物のほうにある

私たちは、生きている実感がほしくて刺激を求めます。そして刺激の中で、いちばん手軽で、いちばん確実なのが食べることです。

だから、いろいろな理由をつけて食べます。

  • 流行っているらしいから
  • せっかくここまで来たから
  • 体にいいと言われたから
  • 疲れているから、これくらいは
  • なんとなく、口が寂しいから

気がつくと、私は「食べている」のではなく「食べさせられている」。主導権が、いつのまにか食べ物のほうに移っているのです。

これは意志が弱いという話ではないと思っています。人間がもともとそういう仕組みで動いているというだけのことです。

5. 引き出しに手が伸びて、「あっ」と気づいた日

ここからが、この記事でいちばん書きたかったことです。

家に、お菓子があります。あるとわかっているのです。そして夜になると、体が勝手に動きます。台所に立って、引き出しに手をかけている。何かを決めた記憶はありません。気がついたら、もうそこにいるのです。

あの瞬間

引き出しを半分ほど開けたところで、ふいに、こう思うことがあります。

「あっ、これは空腹じゃない。食べたいだけだ」

そうすると、手が止まります。そのまま、すっと引き出しを閉じて、台所を出られる。そういう日があるのです。

大事なのは、このとき我慢していないということです。歯を食いしばってこらえたわけでも、意志の力で勝ったわけでもありません。

気づいた瞬間に、欲しさのほうが、勝手にしぼんだのです。

あれだけ強く私を引っぱっていたものが、こちらが正面から見た途端、ふっと力を失う。あの感覚は、経験してみるとちょっと不思議です。

もちろん、いつもうまくいくわけではない

正直に書きます。うまくいくのは、三回に一回くらいです。

「あっ」と気づいたのに、そのまま食べてしまう日もあります。気づきさえしないで、食べ終わってから「また食べたな」と思う日もあります。

でも、それでいいのだと今は思っています。うまくいかなかった日は、単にうまくいかなかっただけで、失敗ではありません。気づけた日が、ちゃんとある。それが事実です。

6. 我慢するのではなく、見てみることにした

私がやっているのは、この三つだけです。どれも「減らす」ための方法ではありません。気づく回数を増やすための方法です。

① 食べる前に、いったん眺める

口に入れる前に、二秒でいいので形と色と香りを見ます。じっと睨むのではなく、ただ普通に眺めるだけです。この二秒が、自動操縦を一度切ってくれます。

② 一口目だけ、ゆっくり噛む

全部をゆっくり食べるのは、私には続きませんでした。だから一口目だけです。これ以上は噛めないというところまで噛んで、味がどう変わっていくかを見てみる。不思議なもので、一口目を丁寧に扱うと、その後の食べ方が少し落ち着きます。

③ 手が伸びたとき、一回だけ自分に聞く

「今のこれは、空腹か。それとも食べたいだけか」

答えが出なくてもかまいません。聞いた時点で、もう気づいているからです。

💡 量を減らすことは、目的にしていません

減らすことが目的になると、今度は「減らせない自分」を責めはじめます。それは執着がひとつ増えただけです。ここでやっているのは、あくまで気づくところまでです。

食べたいのか、食べたいだけなのか
7. 食欲は消えない。でも気づける回数は増える

以前このサイトで、煩悩は消さなくていい、「あ、またやってる」と気づくだけでいい、という話を書きました。食欲もまったく同じでした。

56歳になっても、甘いものはやめられません。今日も何を食べようかと考えています。たぶん来年も同じでしょう。

それでも、以前は週に一度も気づけなかったものが、今は二度くらい気づけるようになりました。引き出しを閉じられる日が、少しだけ増えた。

私にとっての進歩は、その程度のものです。でも、それで十分だと思っています。気づけた瞬間だけ、私は食べ物ではなく自分の側に戻っているからです。

もし今、同じように食への執着で自分を責めている方がいらっしゃったら、こうお伝えしたいのです。意志が弱いのではありません。人間はもともとそうできている。だから戦わなくていい。ただ、引き出しに手をかけたその瞬間に、一度だけ気づいてみてください。

8. よくある質問

Q. 食べてしまうのは、意志が弱いからでしょうか?

意志の強さの問題ではないと考えています。人間はもともと刺激を求めるようにできていて、食べることはその中でいちばん手近な刺激だからです。必要なのは強い意志ではなく、自分が今どちらの信号で動いているのかに気づくことです。

Q. 気づいても結局食べてしまいます。意味がないのでは?

気づいた時点で、すでに半分は変わっています。私自身、気づいても食べてしまう日のほうが多いです。それでも「気づかずに食べた」と「気づいたうえで食べた」は、まったく別の経験でした。回数は、あとから少しずつ増えていきます。

Q. これはダイエットの方法ですか?

いいえ、違います。体重や量を管理するための方法ではありません。食べ物に振り回されている状態から、少しだけ自分の側に戻ってくるための、心の扱い方の話です。体重や健康について気になることがある場合は、医師や管理栄養士など専門家にご相談ください。
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この記事は、五合庵社会福祉士事務所(札幌市白石区南郷通14丁目)の代表が、日々考えていることを書いたコラムです。生き方や働き方についてのご相談を承っています。

56歳、「何もしない」が怖くなくなってきた

人生相談コラム

~ 瞑想シリーズ 第3回 ~

1. 56歳、「何もしない」が怖くなくなってきた

最近、少し変わったことに気づきました。
「何もしない時間」が、前ほど怖くなくなってきたのです。

ほんの数年前までは違いました。
休日でも、何かしていないと落ち着かない。
スマホを手に取る。ニュースを開く。SNSをのぞく。
何かを「している」ことで、安心していた気がします。

でも56歳になった今、毎朝の神社で目を閉じている数分間が、一日の中で一番落ち着く時間になっています。
何も生産していない。何も進んでいない。
なのに、帰り道は頭がすっきりしているのです。

2. 何かしていないと不安だった頃

振り返ると、若い頃はずっと「何かしなきゃ」と思って生きていました。

「この時間、もっと有効に使えるんじゃないか」

「同じ年齢のあの人は、もう次のステップに進んでいる」

「ぼんやりしている場合じゃないだろう」

独立してからは、なおさらでした。
会社員なら、席に座っているだけで給料が出る日もあります。
でもひとりで仕事をしていると、動いていない時間は、そのまま収入ゼロの時間です。

だから手を止めることが怖かった。
何かをしている自分でいないと、自分の価値がなくなるような気がしていたのです。

3. 毎朝の神社で気づいたこと

毎朝4時半に神社へ歩くようになってから、少しずつ変わりました。

拝殿の前で目を閉じて立っている時間。
その間、何もしていません。
仕事のことも考えない。スマホも見ない。ただ立っている。

前回の記事で書いたように、実際には10秒もしないうちに何かを考え始めてしまいます。
昨日の記事で書いたように、欲や煩悩がすぐに浮かんできます。

でも、それでいいのだと思うようになりました。
「何も考えない」は無理でも、「何もしなくていい時間をつくる」ことはできます。
そして、その時間があるだけで、帰り道の気分がまるで違うのです。

スマナサーラ長老の教えから、私が受け取ったこと

心はじっとしていられない。次々に何かを考えるのが心の性質。
それを止めようとするのではなく、「今、何かを考えているな」と知ること。
それだけで、心は少し静かになる。

「何もしない」は、本当は「何もしない練習をしている」のかもしれません。
練習だから、うまくいかなくても気にしなくていい。
そう思えるようになったことが、一番大きな変化でした。

4. 「何もしない」と「怠けている」は違う

「何もしない」と聞くと、怠けている感じがするかもしれません。
でも、この二つはまったく違うものだと思っています。

怠けている何もしない
やるべきことはあるけど避けているいったん横に置いている
気持ちは後ろめたい穏やか
時間の感覚ダラダラと過ぎる静かに流れている
そのあとはさらに動けなくなる自然に動き出せる

怠けているときは、後ろめたさがあります。
「やらなきゃ」と思いながら動けない。それが余計にしんどくなります。

一方で、「今は何もしない」と決めて過ごす時間には、後ろめたさがありません。
むしろそのあとのほうが、すっと仕事に入れることが多いのです。

5. 頭を空っぽにしなくていい

瞑想というと、「頭を空っぽにする」イメージがあるかもしれません。
私も最初はそう思っていました。

でも実際には、頭を空っぽにするのは無理です。
目を閉じた瞬間から、次々に何かが浮かんできます。

  • 今日の予定のこと
  • 昨日食べたものの味
  • ふと思い出した誰かの顔
  • 「そういえば、あれどうなったかな」

浮かんでくること自体は、止められません。
でも「あ、今なにか浮かんできたな」と気づいたら、それでもう十分です。

気づいた瞬間、ほんの一瞬だけ、考えごとから離れています。
その一瞬が、朝の空気や鳥の声を感じる隙間になります。

前回の記事で書いた「10秒も集中できない」のも、昨日書いた「あ、またやってる」も、この一瞬の話です。
たったそれだけのことですが、毎朝続けているうちに、日中の過ごし方も少しずつ変わってきました。

56歳、「何もしない」が怖くなくなってきた
6. 内向的な人にとっての「何もしない」

内向的な人は、ひとりの時間が好きです。
でも「ひとりの時間」と「何もしない時間」は、意外と別のものです。

ひとりでいても、本を読んだり、調べものをしたり、手を動かしていることが多い。
つまり「ひとりで何かをしている時間」であって、本当に何もしない時間は少ないのです。

内向的な人こそ、一日に5分でいいから「何もしなくていい時間」をつくってみてほしいと思います。
場所はどこでもいい。椅子に座って目を閉じるだけでもいい。
散歩の途中で立ち止まるだけでもいい。

生産しなくていい。進まなくていい。
ただ「ここにいる」という、それだけの時間。

56歳の私が毎朝やっているのも、結局はそれだけのことです。

7. よくある質問

Q. 瞑想は何分くらいやればいいのですか?

決まりはありません。私は神社で立っている数分間だけです。「あ、何か考えていたな」と1回でも気づければ、それで十分だと思っています。

Q. 何もしない時間がもったいないと感じてしまいます。

私もずっとそうでした。でも試しに5分だけやってみると、そのあとの仕事の入り方が違うことに気づくかもしれません。「もったいない」と感じること自体が、何もしない時間が必要なサインかもしれません。

Q. 独立して一人で仕事をしていると、立ち止まるのが怖いです。

よくわかります。手を止めたら収入が止まる、という感覚はリアルです。ただ、焦って動いている時間がすべて成果につながっているかというと、そうでもなかったりします。一度立ち止まって、自分の現在地を確認するような時間があってもいいのではないでしょうか。

Q. 人生相談では、こういった心の持ち方の話もできますか?

はい。仕事の悩みだけでなく、日々の過ごし方、気持ちの整え方、独立してからの孤独感など、何でもお話しいただけます。下のフォームからお気軽にどうぞ。

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煩悩は消さなくていい。「あ、またやってる」と気づくだけでいい

人生相談コラム

〜 前回の瞑想記事の続きです 〜


1. 欲は、56歳になっても消えなかった

朝、眠い。もう少し寝たい。

でも、起きる。ただ起きるだけ。

昼、過去の失敗を思い出す。胸の中がざわっとする。でも、特に何もしない。

夜、今日も1日生きた。ゆっくり寝るか。布団に入って目を閉じれば、気づけば朝になっている。

56歳になっても、欲や煩悩は消えない。眠気も、胸のざわつきも、毎日やってくる。若い頃と比べて、欲の種類は多少変わったかもしれないけれど、何かを欲しがったり、何かに腹を立てたりする自分は、たいして変わっていない。

昔は、それが嫌だった。「いい年なんだから、もう少し落ち着いた人間になりたい」と思っていた。欲を減らしたい、もっとできた人間になりたい、と。

でも最近、少し考え方が変わってきた。

欲が消えるかどうかは、あまり重要ではないのかもしれない。

2. 「あ、またやってる」と気づくだけ

前回の記事で、ヴィパッサナー瞑想のことを書きました。毎朝4時半に神社へ歩きながら瞑想していて、10秒で集中が途切れる、という話です。

そのときに学んだのは、「集中し続けること」が瞑想の目的ではなく、「集中が途切れたことに気づいて、戻る」ことが本質だ、ということでした。

この「気づいて戻る」が、最近、瞑想以外の場面でも少しずつ起きるようになってきました。

朝、眠い

「もう少し寝たい」と思う。ただ、起きる。以前との違いは、起きる前に一瞬だけ「あ、また眠気に引っ張られそうになってるな」と気づいている、ということ。気づいたからどうする、というわけではない。ただ気づいて、起きる。それだけです。

昼、胸がざわつく。

以前は、何か嫌なことを思い出すと、それがしばらく続いた。最近は、「あ、またやってる」と気づくことが増えてきた。気づいたら、もう消えている。怒りのまま何かを言ったり動いたりすることが減った気がする。

夜、そろそろ寝るか

以前は、強烈な恐怖が襲って来ることがあった。最近は、「あ、まただ」と気づく。気づいたら、そのまま放っておく。

💡 やっていることはシンプル

特別なテクニックを使っているわけではありません。
ただ「あ、またやってる」と気づくだけ。
気づいたら何かをするのではなく、気づくこと自体がすべてです。

3. 以前との違い——気づけなかった頃の自分

以前の自分はどうだったかというと、「気づく」という発想自体がありませんでした。

眠いから二度寝する。怒りが湧いたらそのまま続く。不安が来たら恐怖心でいっぱいになる。欲や感情に飲み込まれている自覚がないまま、流されている。そんな感じでした。

つまり、「欲に飲み込まれていることに気づいていない」状態と、「欲に飲み込まれているけど、気づいている」状態は、まったく違うということです。

たとえるなら
川に流されているとき、流されていることに気づいていない人は、岸に上がることもできない。でも、「あ、自分は今、流されているな」と気づいた瞬間、岸に手を伸ばす選択肢が生まれる。

岸に上がれるかどうかは、正直、わかりません。でも、「流されていること」に気づいているのと、気づいていないのとでは、まったく違う。

瞑想を始めてから変わったのは、この「気づく回数」が少しだけ増えた、ということだと思います。劇的な変化ではないけれど、確実に何かが違う。

4. 残り時間を感じ始めてから、変わったこと

今年で56歳になりました。

若い頃は、自分はまだ若い方だと思っていた。でも最近、「残り時間」というものをリアルに感じるようになってきました。

別に病気をしたわけでも、特別な出来事があったわけでもない。ただ、歴史小説を読んでいると、昔の60代といえばもう晩年の人物として描かれている。自分もそう遠くない、ということが、なんとなく実感として落ちてきた。

この「残り時間」の感覚が、「気づく」ことの意味を変えたように思います。

💡 時間が有限だと感じるようになって

怒りに飲み込まれて一日イライラしている。
不安にとらわれて夜中まで悶々としている。
その時間が、以前より「もったいない」と感じるようになった。

欲を消したいとか、煩悩を克服したいとか、そういう立派な動機ではないのです。

ただ、怒っている時間がもったいない。不安で眠れない夜がもったいない。欲に引っ張られてぐずぐずしている時間がもったいない。

残りの時間が限られていると感じるからこそ、「あ、またやってる」と気づいて、早めに戻ってきたい。それだけのことなんだと思います。

欲は消えなくていい。煩悩があってもいい。ただ、飲み込まれている時間を少し短くしたい。56歳のいまの正直な気持ちは、そんなところです。

煩悩は消さなくていい
5. 欲は消さなくていい。飲み込まれなければいい

この記事で書いたことを、最後にまとめます。

  • 欲や煩悩は、56歳になっても消えない
  • 大事なのは「消すこと」ではなく、「あ、またやってる」と気づくこと
  • 気づいたからといって何かをする必要はない。気づくだけでいい
  • 残りの時間が有限だと感じるからこそ、飲み込まれる時間を短くしたい
  • 特別な修行ではなく、日常の中で「気づく回数」が少しずつ増えていく——それだけで十分

明日も朝4時半に起きて、神社への道を歩きます。また10秒で集中が途切れるでしょう。でも、「あ、また途切れた」と気づいて、呼吸に戻る。

日常の欲も同じです。また眠くなるし、またイラッとするし、また不安になる。でも、「あ、またやってる」と気づく。そして今に戻る。

それだけのことを、淡々と繰り返しています。


6. よくある質問
Q. 「気づく」って、具体的にどういうことですか?
難しいことではありません。怒っている最中に「あ、自分は今、怒ってるな」と思う。不安でぐるぐるしている最中に「あ、またやってるな」と思う。それだけです。気づいたあとに何かをする必要はなく、気づくこと自体が全てです。
Q. 気づいても、欲や怒りは消えませんよね?
消えません。ただ、「飲み込まれている時間」が少し短くなる感覚があります。以前は怒りにそのまま一日引きずられていたのが、気づいた時点で少し距離ができる。消すことが目標ではなく、振り回される時間を短くするだけです。
Q. 瞑想をしていないと「気づく」ことはできませんか?
瞑想をしなくてもできます。ただ、瞑想は「気づく練習」の時間なので、続けていると日常でも気づきやすくなってくる、という実感はあります。まずは瞑想なしでも、一日に一回「あ、今自分は何を考えていたかな」と立ち止まってみるだけでも十分です。
Q. 「残り時間がもったいない」という感覚は、焦りとは違いますか?
焦りに似ている部分もありますが、少し違います。焦りは「何かをしなきゃ」という衝動ですが、ここで言う感覚は「怒りや不安に費やしている時間を減らしたい」という静かな気持ちです。急ぐのではなく、無駄に消耗する時間を手放したい、というニュアンスに近いです。

人生の迷いや悩みについて、一人で考えていても答えが出ないと感じることはありませんか。そんなときは、話を聞く場所があることも知っておいてください。

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※ 本記事は筆者の個人的な実践の記録です。スマナサーラ長老・日本テーラワーダ仏教協会の公式見解ではありません。

From summer to autumn 2022. Sounkyo, Hakodate

 

In the end, the mother entered the institution.
It may be difficult to go home.
But I hope someday I can come back home and live with my father.

I go back to my parents’ house at night and live with my father.
My father is in danger of falling down when he goes to the bathroom at night. I feel uneasy spending time alone at night. But my father has gotten used to it recently. If it’s for a few days, it’s okay to be alone at night.

I can go on a small trip.
I recently went to Asahikawa and Sounkyo Hakodate.

Upload photos and videos.

I didn’t expect to live with my father.
What will happen next? My father may live in an institution in the future.
It’s no use thinking about the future.
It is a feeling of being swayed alone in a small boat floating on the waves.I have no choice but to go with the flow.

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結局母親は施設に入りました。
家に戻るのは難しいかもしれません。
しかしまたいつか家に戻ってきて父親と暮らせればいいなと思います。

私は夜は実家に帰り父親と2人で暮らしています。
父は夜トイレに行く時に転倒する危険があります。夜1人で過ごすのは不安です。しかし父は最近慣れて来ました。数日間なら夜1人でも大丈夫です。

私は小さな旅行に出かけることができます。
最近旭川や層雲峡、函館に行きました。

写真や動画をアップロードします。

 

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私は父親と2人で暮らすことになるとは思いませんでした。
今後はどうなるでしょうか。父親が施設に入るかもしれません。
しかし先のことを考えても仕方がありません。
波の上に浮かぶ小舟に1人で揺られている感覚です。
流れに任せていこうと思います。

 

https://twitter.com/dj_yohji
 
 
 

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https://twitter.com/Net55an
 
https://www.youtube.com/channel/UCCSztsuoZYcHL05WdOx7FNQ/featured
 


日本の円安について

2022年4月16日土曜日
日本の物価はここ数十年上がっていない。他の国の物価は上がってきているが、それと比べても日本はかなり物価が上がらない。

他にスイスも日本ほどではないがさほど物価は上がっていない。
10カ国程度の消費者物価指数を見てみたが、他の国は軒並み物価が上がっている。

日本政府は必死に物価を上げようとしている。なぜだろう?
物価が上がらない、デフレが続く、賃金も上がらない。批判があったので、日本政府は物価を上げようとした。しかし物価は上がらなかった。賃金も上がらなかった。何十年も上がらなかった。そのため批判は続いた。

最近、日本円の価値が下がってきた。そのため、今後、輸入食品やエネルギーの価格が上がる。やっと日本政府の願いが叶うかもしれない。ようやく物価があがるかもしれない。そうなると企業も給与をあげる。しかし、それで良いのだろうか?

日本だけ長く物価が上がらなかった。それは悪いことではないと思う。私は「日本だけが物価が安定していた、他の国には出来なかった」、それはとても良いことだと思う。

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Saturday, April 16, 2022
Prices in Japan haven’t risen for decades. Prices in other countries are rising. In comparison, prices do not rise only in Japan.

Prices have not risen in Switzerland as well.
I looked at the consumer price index of 10 countries. Prices are rising in those countries.

The Japanese government is desperately trying to raise prices. Why?
Prices do not rise, deflation continues, and wages do not rise. Due to criticism, the Japanese government tried to raise prices. However, prices did not rise. Wages didn’t go up either. It didn’t go up for decades. Therefore, criticism continued.

Recently, the value of the Japanese yen has fallen. Therefore, the prices of imported foods and energy will rise in the future. The wishes of the Japanese government may finally come true. Prices may finally rise. When that happens, the company also raises the salary. But is that all right?

Prices did not rise for a long time only in Japan. I don’t think it’s a bad thing. Prices are stable only in Japan. I couldn’t do it in other countries. I think it’s a very good thing.

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Jozankei Hokkaido, Japan 2022/2/20

 

 

 

 

I came to Shikanoyu in Jozankei after 26 years.
It is a very good hot spring facility.
It is also close to Sapporo.
I recommend this inn.

 

 

 

26年ぶりに定山渓の鹿の湯に来ました。
とても良い温泉施設だと改めて感じました。
札幌からも近く、とてもお勧めの宿です。

 
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On the way home 26 years ago,
I came up with the idea of ​​starting a business
Gogoan Social Worker Office

 


 
 

 
26年前の鹿の湯からの帰り道に、五合庵社会福祉士事務所の開業が閃きました。

 
 
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I went back to Sapporo and looked for an office.
Soon I rented a office along Toyohira River.
I was 26 years old.

 

 
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札幌に戻るとすぐに事務所探しを始めました。
1ヵ月ほどで事務所が見つかりました。
最初に借りたのが豊平川沿いのワンルームの小さなアパートでした。確か26歳だったと思います。

 

 

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Lake Toya, Monday, December 20

 
 

Lake Toya, Monday, December 20

 

 
 
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It was a heavy snowfall in Sapporo last week. I spent a lot of time shoveling snow at my parents’ house.
It’s been two months since my two parents entered the facility together. I came to Lake Toya for the first time in a while because I was a little calm.

 
 

 

札幌は先週大雪となり私は実家の雪かきに追われていました。
両親が2人揃って施設入所して2ヶ月が経ち、少し落ち着いた隙に洞爺湖へ久々にきました。

 

 

 
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These days I sometimes feel the decline of my father’s body and mind as if it were my own.

Now is the most important thing for me
Now is everything
I realize that the present accumulation is the present, the past, and the future. The trip is very good for me.

 

I work as long as I am needed by a person. When my role is over, I will leave for the other world.
I wish I could have such a way of life.

 

 

最近は父親の衰えを自分に重ねてしまうことがありましたが、
旅行に来ると改めて私にとって今が1番大切、
今がすべて、
今の積み重ねが今であり過去であり未来であるということを実感します。
やはり旅は私にとってとても良いものです。

 

人から必要とされる間は働き、役割が終わったら、衰えを感じる間もなくあの世へ旅立つ、そういう生き方ができたらいいなと思います。