荘子 第二 斉物論篇 二十一 二十二
二十一
齧缼はさらにたずねた
「先生は利害に心をかけられないようですが
それなら至人 道に到達した人も利害をまったく心にかけないのでしょうか」
すると 王倪は答えた
「至人は霊妙なはたらきの持ち主である
たとえ大きな沢の草むらが焼けようとも、至人を焼くことができず
たとえ黄河や漢江が凍っても至人を凍えさせることはできない
たとえ激しい雷が山をうちくだき 大風が海をゆるがすことがあっても 至人を驚かすことができない
このようにして至人は 雲気に乗り 日月にうちまたがって 四方の海の外にまで遊ぶのである
生死でさえ 至人の心を動かすことはない
まして利害のけじめなど 問題にもならない」
二十二
「私は先生から 次のような話を聞きました
『聖人は俗務に従うことがなく 利を求めようとせず 害を避けようともしない
人から求められても喜ぶこともなく
定められた道に従うこともない
無言のままに真実を語るかと思えば ものをいいながら何ごとも語らない
このようにして俗塵の外に遊ぶのである』と
しかも先生自身は これを口からの出まかせの でたらめだといわれるのだが
私はこれこそ霊妙な道のあらわれだと思う
あなたはどう考えるかね」
すると、長梧子は答えた
「それは黄帝でさえ聞いてとまどうほどの 意味深長なことばだよ
もちろん私などにわかるはずはない それに君も早合点すぎるよ
わかりもしないくせに 霊妙な時を告げさせたいと思い はじき弓を見ただけで 焼き鳥をほしがるようなものだ
ではひとつお前のために でたらめを聞かせよう
お前も いいかげんに聞き流しておればよい どうだね
聖人というものは 日月と並び 宇宙を小脇にかかえ 万物を一体に合わせ すべてを混沌のままにしておき
卑しいものをとうとい地位において 価値の差別をなくすものだ
俗人どもは あくせくとして心身を労するが
聖人は愚鈍で いっさいを忘れる
万年の久しきにわたる変化のうちに身をまかせ しかも ただひとすじに純粋な道を守り通す
万物をあるがままによしとし あたたかい是認の心でこれを包むのである」

