荘子 斉物論篇 六
六
人間としての形を受けた以上は
これを滅ぼすことなく
命が果てる日まで待つほかない
それにもかかわらず 世の人は あるいはものに逆らい
あるいはものになびき従いつつ その人生を駆け足のように走り抜け
これをとどめるすべを知らないのは あわれというほかない
その生涯をあくせくと労苦のうちに過ごしながら
しかもその成功を見ることもなく ぼう然として疲れ果て
人生の行方も知らずにいるのは あわれというも愚かではないか
このようなありさまで生きているのは
たとえ他人が「お前はまだ死んでいない」と言ってくれたとしても それが何の役に立つだろう
その身体が滅びるとともに その心もまた同時に滅びるほかない
これを大きな悲しみといわずにいれるだろうか
この世に生きる人々は、すべてこのような惑いのうちにあるのだろうか
それとも私だけが惑いのうちにあって 世の人のうちには惑わないものがあるのか
七
もし自分に自然にそなわっている心に従い
これをわが師とするならば
だれでも自分の師をもたないものはないことになる
この師は自然にそなわるものであり
あれこれと これに代わるものを探した末に
自分の心が選び取ったわけのものではない
だからこの心の師は どんな愚かものでもこれを心にそなえている
ところが この自然にそなわる心を師としないで いたずらに是非の判断をするものは
例えば「今日 越の国に旅立つのは きのう 越の国に到着したのと同じである」といった詭弁をもて遊ぶことになる
これは ありえないことをあるとするものである
ありえないことあるとするものには たとえ神に等しい知恵をもつ禹王でも 手の施しようがないだろう
ましてや私の手に負えるはずがない

