「今日の昼、何を食べたっけ」——あれだけ楽しみにしていたのに、もう忘れていた

人生相談コラム

〜 食べ物への執着を、少し違う角度から 〜


1. 「今日の昼、何を食べたっけ」

「今日の昼、何を食べましたか」

すぐ答えられますか。

食べた直後なら当然覚えています。でも、三時間後、四時間後になると、ふと「あれ、何だったっけ」となることがある。あれだけ楽しみにして、おいしく食べたはずなのに、その体験がもうひどく薄い。

これは記憶力の問題ではありません。むしろ、これがふつうの状態です。

問題は別のところにあります。それだけ薄くなってしまう体験のために、私たちは一日のかなりの時間とエネルギーを使っている、ということです。

2. あれだけ楽しみにしていたのに

「今日の昼はあの店に行こう」「帰りにあれを買って帰ろう」——朝からそう考えていることがあります。

食べている最中は確かにおいしい。満足感もある。でも食べ終わって、しばらく経つと、あの体験はどこへ行ったのでしょう。

楽しみにしていた時間も、おいしかった記憶も、気がつけばひどく薄くなっている。なのに次の食事のことを、またもう考えはじめている。

💡 気づいたこと

私たちは食べ物を求めているようで、実は「食べる前の期待」と「食べている最中の数分間」だけを繰り返し求めているのかもしれません。

3. 「おいしい」は、食べている数分間だけにある

一度、食事の体験を三つに分けて眺めてみてください。

  • 食べる前——期待している。頭の中にある体験。
  • 食べている最中——実際においしい。これだけが本物の体験。
  • 食べた後——記憶として残る。またも頭の中にある体験。

「おいしい」が実際に存在しているのは、真ん中の数分間だけです。前後はすべて頭の中の話です。

仏教が昔から言っていたこと

仏教では、人間が外の世界を受け取る窓口は六つしかないと説明されてきました。目・耳・鼻・舌・体・心です。そして、ひとつの窓口はごく一部しか受け取っていない。

舌が受け取っているのは「味」だけ。目は「形と色」だけ。鼻は「香り」だけです。私たちはこれらの断片を頭の中で組み合わせて「あのラーメンは最高だ」と結論づけています。

さらに言えば、体調が悪い日は大好物でもおいしくない。気分が乗らない日は、好きな音楽さえ耳障りに感じる。「おいしさ」は食べ物の側にあるのではなく、こちらの状態の側にある。同じ食べ物が、日によって全然違うものになるのはそのためです。

つまり私たちは、食べ物を追いかけているようで、実は自分の頭の中にある「おいしさのイメージ」を追いかけているのです。

4. それでも、また食べたくなる

ここまで読んで、「それでも食べたい気持ちは消えないけど」と思った方がほとんどではないでしょうか。

それはそうです。消えません。

人間は刺激を求めるようにできていて、食べることはその中でいちばん手軽で確実な刺激です。忘れると分かっていても、また食べたくなる。これは意志の問題でも、だらしなさの問題でもありません。

ただ、ここで一つだけ視点が変わります。

「自分は今、食べ物を求めているのか。それとも、食べる前の期待感を求めているのか」

この問いを一度持つだけで、食欲との関係が少し変わってきます。

5. 「どうせ消える」を、俯瞰に使う

何かを食べたくなったとき、こう思ってみることがあります。

「この満足感は、数時間後には消えている」

これはネガティブな思い込みではありません。実際にそうだからです。そしてこれは、欲求にも同じことが言えます。今これだけ強く引っ張っているこの欲求も、数時間後には消えている。

我慢しなくていいのです。ただ、少し高いところから見てみる。「今感じているこの強さは、本当にこれだけ強いのか」と確認してみる。

気づいた瞬間に、引っ張る力がすっと弱くなることがあります。欲求と戦わずに、欲求から少し距離が取れる瞬間です。

💡 これは我慢ではありません

「食べてはいけない」と抑えつけるのではなく、「これはどこから来ているのか」と一度見てみる。それだけです。見た結果、食べてもかまいません。

食べ物への執着を、少し違う角度から
6. 忘れるから、今が本物になる

食べたことをすぐ忘れるのは、欠落ではありません。

むしろ、今この一口だけが本物の体験であることを教えてくれています。前の期待も、後の記憶も、頭の中の話です。口の中にあるこの瞬間だけが、実際に起きていることです。

「どうせ忘れる」と知っているからこそ、今この味に集中できる。そちらのほうが、ずっと豊かな食べ方かもしれません。

食べることを減らす必要はありません。ただ、食べる前の期待と、食べている最中と、食べた後を、少しだけ区別して眺めてみてください。それだけで、食べ物との関係がほんの少し変わります。

7. よくある質問

Q. 食べるのが好きなのに、こう考えると楽しくなくなりませんか?

逆に楽しくなる方が多いようです。「食べる前の期待」と「今この味」を区別して意識するようになると、食べている最中の体験が濃くなります。「どうせ忘れる」と知りながら食べる一口は、流れ作業で食べる一口より、ずっと鮮明です。

Q. 食後に忘れるのは、何か問題があるのでしょうか?

これはふつうのことです。体験というのは、過ぎた瞬間から記憶に変わり始め、記憶はどんどん薄くなります。食事に限らず、どんな体験もそうです。問題があるとすれば、忘れることではなく、「忘れるほど流れ作業で食べていた」という状態のほうです。

Q. 「どうせ消える」と思ったら、食事がつまらなくなりそうです

「どうせ消える」を、あきらめとして使うのではなく、「今この瞬間だけが本物だ」という意味で使ってみてください。消えるからこそ、今ここにあるものが際立ちます。食べることの楽しさは、減るのではなく、今この一口に集まってきます。
\ ご相談はこちらから /

お名前・メールアドレスを入力し、ご相談内容をお書きください。

五合庵社会福祉士事務所(札幌市白石区南郷通14丁目)では、生き方や働き方についてのご相談を承っています。

「食べたい」のか「食べたいだけ」なのか。56歳、甘いものと向き合ってみた

人生相談コラム

〜 食べたいのか、食べたいだけなのか 〜


1. 今日も「何を食べようか」ばかり考えている

毎朝4時半に起きて、近所の神社まで歩いて、少しのあいだ座ってきます。帰ってくるとまだ6時前です。

頭の中は静かになっているはずなのに、台所に立った瞬間、もう考えているのです。今日の昼は何にしようか。あの店のあれが食べたい。そういえば戸棚にまだお菓子が残っていたな、と。

56歳になりました。この歳になっても、私の一日はかなりの時間を「何を食べるか」に使っています。甘いものが我慢できません。食べないほうがいいと分かっている夜ほど、なぜか手が伸びます。

この文章は、それを克服した人間が書いているものではありません。今も執着したままの人間が、ときどきだけ、するりとそこから抜けられる瞬間があって、そのときに何が起きているのかを書いています。

2. 「お腹が空いた」と「食べたい」は、別のものだった

あるとき、ふと気づいたことがあります。

お腹は、鳴っていないのです。

昼をしっかり食べた三時間後。胃は明らかに満ちている。それなのに、甘いものが欲しい。つまりこれは、体が「足りない」と言っているのではない。体ではなく、心のほうが呼んでいるのです。

私たちはこの二つを、ずっとひとまとめにして「お腹が空いた」と呼んできました。でも本当は別物です。

💡 ここだけ覚えていただければ十分です

空腹=体からの信号。食べたい=心からの信号。この二つは、まったく別のところから来ています。

3. 味を知っているのは、舌だけ

仏教では昔から、人間が外の世界を受け取る窓口は六つしかない、と説明されてきました。目、耳、鼻、舌、体、そして心です。

この考え方が面白いのは、ひとつの窓口は、ごく一部しか受け取っていないという点です。

  • 目が受け取っているのは、形と色だけ
  • 鼻が受け取っているのは、香りだけ
  • 舌が受け取っているのは、味だけ
  • 手が受け取っているのは、かたさと温度だけ

目の前のケーキひとつをとっても、私はその全体を知ってはいません。ばらばらに届いた断片を、頭の中で組み立てて「あのケーキは最高だ」と思い込んでいるだけなのです。

体調の悪い日は、大好物でもおいしくない

思い当たることがあるはずです。風邪をひいた日に、大好きなうなぎを食べても、ちっともおいしくない。イライラしている日は、好きな音楽さえうるさく感じる。

これは、おいしさが食べ物の側にあるのではないということです。おいしさは、こちらの状態の側にある。

同じケーキが、日によって最高にもなれば、なんでもないものにもなる。だとすれば、私が追いかけているのは本当にそのケーキなのでしょうか。

4. 気がつくと、主導権が食べ物のほうにある

私たちは、生きている実感がほしくて刺激を求めます。そして刺激の中で、いちばん手軽で、いちばん確実なのが食べることです。

だから、いろいろな理由をつけて食べます。

  • 流行っているらしいから
  • せっかくここまで来たから
  • 体にいいと言われたから
  • 疲れているから、これくらいは
  • なんとなく、口が寂しいから

気がつくと、私は「食べている」のではなく「食べさせられている」。主導権が、いつのまにか食べ物のほうに移っているのです。

これは意志が弱いという話ではないと思っています。人間がもともとそういう仕組みで動いているというだけのことです。

5. 引き出しに手が伸びて、「あっ」と気づいた日

ここからが、この記事でいちばん書きたかったことです。

家に、お菓子があります。あるとわかっているのです。そして夜になると、体が勝手に動きます。台所に立って、引き出しに手をかけている。何かを決めた記憶はありません。気がついたら、もうそこにいるのです。

あの瞬間

引き出しを半分ほど開けたところで、ふいに、こう思うことがあります。

「あっ、これは空腹じゃない。食べたいだけだ」

そうすると、手が止まります。そのまま、すっと引き出しを閉じて、台所を出られる。そういう日があるのです。

大事なのは、このとき我慢していないということです。歯を食いしばってこらえたわけでも、意志の力で勝ったわけでもありません。

気づいた瞬間に、欲しさのほうが、勝手にしぼんだのです。

あれだけ強く私を引っぱっていたものが、こちらが正面から見た途端、ふっと力を失う。あの感覚は、経験してみるとちょっと不思議です。

もちろん、いつもうまくいくわけではない

正直に書きます。うまくいくのは、三回に一回くらいです。

「あっ」と気づいたのに、そのまま食べてしまう日もあります。気づきさえしないで、食べ終わってから「また食べたな」と思う日もあります。

でも、それでいいのだと今は思っています。うまくいかなかった日は、単にうまくいかなかっただけで、失敗ではありません。気づけた日が、ちゃんとある。それが事実です。

6. 我慢するのではなく、見てみることにした

私がやっているのは、この三つだけです。どれも「減らす」ための方法ではありません。気づく回数を増やすための方法です。

① 食べる前に、いったん眺める

口に入れる前に、二秒でいいので形と色と香りを見ます。じっと睨むのではなく、ただ普通に眺めるだけです。この二秒が、自動操縦を一度切ってくれます。

② 一口目だけ、ゆっくり噛む

全部をゆっくり食べるのは、私には続きませんでした。だから一口目だけです。これ以上は噛めないというところまで噛んで、味がどう変わっていくかを見てみる。不思議なもので、一口目を丁寧に扱うと、その後の食べ方が少し落ち着きます。

③ 手が伸びたとき、一回だけ自分に聞く

「今のこれは、空腹か。それとも食べたいだけか」

答えが出なくてもかまいません。聞いた時点で、もう気づいているからです。

💡 量を減らすことは、目的にしていません

減らすことが目的になると、今度は「減らせない自分」を責めはじめます。それは執着がひとつ増えただけです。ここでやっているのは、あくまで気づくところまでです。

食べたいのか、食べたいだけなのか
7. 食欲は消えない。でも気づける回数は増える

以前このサイトで、煩悩は消さなくていい、「あ、またやってる」と気づくだけでいい、という話を書きました。食欲もまったく同じでした。

56歳になっても、甘いものはやめられません。今日も何を食べようかと考えています。たぶん来年も同じでしょう。

それでも、以前は週に一度も気づけなかったものが、今は二度くらい気づけるようになりました。引き出しを閉じられる日が、少しだけ増えた。

私にとっての進歩は、その程度のものです。でも、それで十分だと思っています。気づけた瞬間だけ、私は食べ物ではなく自分の側に戻っているからです。

もし今、同じように食への執着で自分を責めている方がいらっしゃったら、こうお伝えしたいのです。意志が弱いのではありません。人間はもともとそうできている。だから戦わなくていい。ただ、引き出しに手をかけたその瞬間に、一度だけ気づいてみてください。

8. よくある質問

Q. 食べてしまうのは、意志が弱いからでしょうか?

意志の強さの問題ではないと考えています。人間はもともと刺激を求めるようにできていて、食べることはその中でいちばん手近な刺激だからです。必要なのは強い意志ではなく、自分が今どちらの信号で動いているのかに気づくことです。

Q. 気づいても結局食べてしまいます。意味がないのでは?

気づいた時点で、すでに半分は変わっています。私自身、気づいても食べてしまう日のほうが多いです。それでも「気づかずに食べた」と「気づいたうえで食べた」は、まったく別の経験でした。回数は、あとから少しずつ増えていきます。

Q. これはダイエットの方法ですか?

いいえ、違います。体重や量を管理するための方法ではありません。食べ物に振り回されている状態から、少しだけ自分の側に戻ってくるための、心の扱い方の話です。体重や健康について気になることがある場合は、医師や管理栄養士など専門家にご相談ください。
\ ご相談はこちらから /

お名前・メールアドレスを入力し、ご相談内容をお書きください。

この記事は、五合庵社会福祉士事務所(札幌市白石区南郷通14丁目)の代表が、日々考えていることを書いたコラムです。生き方や働き方についてのご相談を承っています。

56歳、「何もしない」が怖くなくなってきた

人生相談コラム

~ 瞑想シリーズ 第3回 ~

1. 56歳、「何もしない」が怖くなくなってきた

最近、少し変わったことに気づきました。
「何もしない時間」が、前ほど怖くなくなってきたのです。

ほんの数年前までは違いました。
休日でも、何かしていないと落ち着かない。
スマホを手に取る。ニュースを開く。SNSをのぞく。
何かを「している」ことで、安心していた気がします。

でも56歳になった今、毎朝の神社で目を閉じている数分間が、一日の中で一番落ち着く時間になっています。
何も生産していない。何も進んでいない。
なのに、帰り道は頭がすっきりしているのです。

2. 何かしていないと不安だった頃

振り返ると、若い頃はずっと「何かしなきゃ」と思って生きていました。

「この時間、もっと有効に使えるんじゃないか」

「同じ年齢のあの人は、もう次のステップに進んでいる」

「ぼんやりしている場合じゃないだろう」

独立してからは、なおさらでした。
会社員なら、席に座っているだけで給料が出る日もあります。
でもひとりで仕事をしていると、動いていない時間は、そのまま収入ゼロの時間です。

だから手を止めることが怖かった。
何かをしている自分でいないと、自分の価値がなくなるような気がしていたのです。

3. 毎朝の神社で気づいたこと

毎朝4時半に神社へ歩くようになってから、少しずつ変わりました。

拝殿の前で目を閉じて立っている時間。
その間、何もしていません。
仕事のことも考えない。スマホも見ない。ただ立っている。

前回の記事で書いたように、実際には10秒もしないうちに何かを考え始めてしまいます。
昨日の記事で書いたように、欲や煩悩がすぐに浮かんできます。

でも、それでいいのだと思うようになりました。
「何も考えない」は無理でも、「何もしなくていい時間をつくる」ことはできます。
そして、その時間があるだけで、帰り道の気分がまるで違うのです。

スマナサーラ長老の教えから、私が受け取ったこと

心はじっとしていられない。次々に何かを考えるのが心の性質。
それを止めようとするのではなく、「今、何かを考えているな」と知ること。
それだけで、心は少し静かになる。

「何もしない」は、本当は「何もしない練習をしている」のかもしれません。
練習だから、うまくいかなくても気にしなくていい。
そう思えるようになったことが、一番大きな変化でした。

4. 「何もしない」と「怠けている」は違う

「何もしない」と聞くと、怠けている感じがするかもしれません。
でも、この二つはまったく違うものだと思っています。

怠けている何もしない
やるべきことはあるけど避けているいったん横に置いている
気持ちは後ろめたい穏やか
時間の感覚ダラダラと過ぎる静かに流れている
そのあとはさらに動けなくなる自然に動き出せる

怠けているときは、後ろめたさがあります。
「やらなきゃ」と思いながら動けない。それが余計にしんどくなります。

一方で、「今は何もしない」と決めて過ごす時間には、後ろめたさがありません。
むしろそのあとのほうが、すっと仕事に入れることが多いのです。

5. 頭を空っぽにしなくていい

瞑想というと、「頭を空っぽにする」イメージがあるかもしれません。
私も最初はそう思っていました。

でも実際には、頭を空っぽにするのは無理です。
目を閉じた瞬間から、次々に何かが浮かんできます。

  • 今日の予定のこと
  • 昨日食べたものの味
  • ふと思い出した誰かの顔
  • 「そういえば、あれどうなったかな」

浮かんでくること自体は、止められません。
でも「あ、今なにか浮かんできたな」と気づいたら、それでもう十分です。

気づいた瞬間、ほんの一瞬だけ、考えごとから離れています。
その一瞬が、朝の空気や鳥の声を感じる隙間になります。

前回の記事で書いた「10秒も集中できない」のも、昨日書いた「あ、またやってる」も、この一瞬の話です。
たったそれだけのことですが、毎朝続けているうちに、日中の過ごし方も少しずつ変わってきました。

56歳、「何もしない」が怖くなくなってきた
6. 内向的な人にとっての「何もしない」

内向的な人は、ひとりの時間が好きです。
でも「ひとりの時間」と「何もしない時間」は、意外と別のものです。

ひとりでいても、本を読んだり、調べものをしたり、手を動かしていることが多い。
つまり「ひとりで何かをしている時間」であって、本当に何もしない時間は少ないのです。

内向的な人こそ、一日に5分でいいから「何もしなくていい時間」をつくってみてほしいと思います。
場所はどこでもいい。椅子に座って目を閉じるだけでもいい。
散歩の途中で立ち止まるだけでもいい。

生産しなくていい。進まなくていい。
ただ「ここにいる」という、それだけの時間。

56歳の私が毎朝やっているのも、結局はそれだけのことです。

7. よくある質問

Q. 瞑想は何分くらいやればいいのですか?

決まりはありません。私は神社で立っている数分間だけです。「あ、何か考えていたな」と1回でも気づければ、それで十分だと思っています。

Q. 何もしない時間がもったいないと感じてしまいます。

私もずっとそうでした。でも試しに5分だけやってみると、そのあとの仕事の入り方が違うことに気づくかもしれません。「もったいない」と感じること自体が、何もしない時間が必要なサインかもしれません。

Q. 独立して一人で仕事をしていると、立ち止まるのが怖いです。

よくわかります。手を止めたら収入が止まる、という感覚はリアルです。ただ、焦って動いている時間がすべて成果につながっているかというと、そうでもなかったりします。一度立ち止まって、自分の現在地を確認するような時間があってもいいのではないでしょうか。

Q. 人生相談では、こういった心の持ち方の話もできますか?

はい。仕事の悩みだけでなく、日々の過ごし方、気持ちの整え方、独立してからの孤独感など、何でもお話しいただけます。下のフォームからお気軽にどうぞ。

立ち止まっても、大丈夫です

内向型・ひとり仕事ならではの悩みを、

社会福祉士がゆっくりお聴きします。

メールフォームで相談する
\ ご相談はこちらから /

お名前・メールアドレス・ご相談内容をご記入ください。2〜3営業日以内にご返信します。


煩悩は消さなくていい。「あ、またやってる」と気づくだけでいい

人生相談コラム

〜 前回の瞑想記事の続きです 〜


1. 欲は、56歳になっても消えなかった

朝、眠い。もう少し寝たい。

でも、起きる。ただ起きるだけ。

昼、過去の失敗を思い出す。胸の中がざわっとする。でも、特に何もしない。

夜、今日も1日生きた。ゆっくり寝るか。布団に入って目を閉じれば、気づけば朝になっている。

56歳になっても、欲や煩悩は消えない。眠気も、胸のざわつきも、毎日やってくる。若い頃と比べて、欲の種類は多少変わったかもしれないけれど、何かを欲しがったり、何かに腹を立てたりする自分は、たいして変わっていない。

昔は、それが嫌だった。「いい年なんだから、もう少し落ち着いた人間になりたい」と思っていた。欲を減らしたい、もっとできた人間になりたい、と。

でも最近、少し考え方が変わってきた。

欲が消えるかどうかは、あまり重要ではないのかもしれない。

2. 「あ、またやってる」と気づくだけ

前回の記事で、ヴィパッサナー瞑想のことを書きました。毎朝4時半に神社へ歩きながら瞑想していて、10秒で集中が途切れる、という話です。

そのときに学んだのは、「集中し続けること」が瞑想の目的ではなく、「集中が途切れたことに気づいて、戻る」ことが本質だ、ということでした。

この「気づいて戻る」が、最近、瞑想以外の場面でも少しずつ起きるようになってきました。

朝、眠い

「もう少し寝たい」と思う。ただ、起きる。以前との違いは、起きる前に一瞬だけ「あ、また眠気に引っ張られそうになってるな」と気づいている、ということ。気づいたからどうする、というわけではない。ただ気づいて、起きる。それだけです。

昼、胸がざわつく。

以前は、何か嫌なことを思い出すと、それがしばらく続いた。最近は、「あ、またやってる」と気づくことが増えてきた。気づいたら、もう消えている。怒りのまま何かを言ったり動いたりすることが減った気がする。

夜、そろそろ寝るか

以前は、強烈な恐怖が襲って来ることがあった。最近は、「あ、まただ」と気づく。気づいたら、そのまま放っておく。

💡 やっていることはシンプル

特別なテクニックを使っているわけではありません。
ただ「あ、またやってる」と気づくだけ。
気づいたら何かをするのではなく、気づくこと自体がすべてです。

3. 以前との違い——気づけなかった頃の自分

以前の自分はどうだったかというと、「気づく」という発想自体がありませんでした。

眠いから二度寝する。怒りが湧いたらそのまま続く。不安が来たら恐怖心でいっぱいになる。欲や感情に飲み込まれている自覚がないまま、流されている。そんな感じでした。

つまり、「欲に飲み込まれていることに気づいていない」状態と、「欲に飲み込まれているけど、気づいている」状態は、まったく違うということです。

たとえるなら
川に流されているとき、流されていることに気づいていない人は、岸に上がることもできない。でも、「あ、自分は今、流されているな」と気づいた瞬間、岸に手を伸ばす選択肢が生まれる。

岸に上がれるかどうかは、正直、わかりません。でも、「流されていること」に気づいているのと、気づいていないのとでは、まったく違う。

瞑想を始めてから変わったのは、この「気づく回数」が少しだけ増えた、ということだと思います。劇的な変化ではないけれど、確実に何かが違う。

4. 残り時間を感じ始めてから、変わったこと

今年で56歳になりました。

若い頃は、自分はまだ若い方だと思っていた。でも最近、「残り時間」というものをリアルに感じるようになってきました。

別に病気をしたわけでも、特別な出来事があったわけでもない。ただ、歴史小説を読んでいると、昔の60代といえばもう晩年の人物として描かれている。自分もそう遠くない、ということが、なんとなく実感として落ちてきた。

この「残り時間」の感覚が、「気づく」ことの意味を変えたように思います。

💡 時間が有限だと感じるようになって

怒りに飲み込まれて一日イライラしている。
不安にとらわれて夜中まで悶々としている。
その時間が、以前より「もったいない」と感じるようになった。

欲を消したいとか、煩悩を克服したいとか、そういう立派な動機ではないのです。

ただ、怒っている時間がもったいない。不安で眠れない夜がもったいない。欲に引っ張られてぐずぐずしている時間がもったいない。

残りの時間が限られていると感じるからこそ、「あ、またやってる」と気づいて、早めに戻ってきたい。それだけのことなんだと思います。

欲は消えなくていい。煩悩があってもいい。ただ、飲み込まれている時間を少し短くしたい。56歳のいまの正直な気持ちは、そんなところです。

煩悩は消さなくていい
5. 欲は消さなくていい。飲み込まれなければいい

この記事で書いたことを、最後にまとめます。

  • 欲や煩悩は、56歳になっても消えない
  • 大事なのは「消すこと」ではなく、「あ、またやってる」と気づくこと
  • 気づいたからといって何かをする必要はない。気づくだけでいい
  • 残りの時間が有限だと感じるからこそ、飲み込まれる時間を短くしたい
  • 特別な修行ではなく、日常の中で「気づく回数」が少しずつ増えていく——それだけで十分

明日も朝4時半に起きて、神社への道を歩きます。また10秒で集中が途切れるでしょう。でも、「あ、また途切れた」と気づいて、呼吸に戻る。

日常の欲も同じです。また眠くなるし、またイラッとするし、また不安になる。でも、「あ、またやってる」と気づく。そして今に戻る。

それだけのことを、淡々と繰り返しています。


6. よくある質問
Q. 「気づく」って、具体的にどういうことですか?
難しいことではありません。怒っている最中に「あ、自分は今、怒ってるな」と思う。不安でぐるぐるしている最中に「あ、またやってるな」と思う。それだけです。気づいたあとに何かをする必要はなく、気づくこと自体が全てです。
Q. 気づいても、欲や怒りは消えませんよね?
消えません。ただ、「飲み込まれている時間」が少し短くなる感覚があります。以前は怒りにそのまま一日引きずられていたのが、気づいた時点で少し距離ができる。消すことが目標ではなく、振り回される時間を短くするだけです。
Q. 瞑想をしていないと「気づく」ことはできませんか?
瞑想をしなくてもできます。ただ、瞑想は「気づく練習」の時間なので、続けていると日常でも気づきやすくなってくる、という実感はあります。まずは瞑想なしでも、一日に一回「あ、今自分は何を考えていたかな」と立ち止まってみるだけでも十分です。
Q. 「残り時間がもったいない」という感覚は、焦りとは違いますか?
焦りに似ている部分もありますが、少し違います。焦りは「何かをしなきゃ」という衝動ですが、ここで言う感覚は「怒りや不安に費やしている時間を減らしたい」という静かな気持ちです。急ぐのではなく、無駄に消耗する時間を手放したい、というニュアンスに近いです。

人生の迷いや悩みについて、一人で考えていても答えが出ないと感じることはありませんか。そんなときは、話を聞く場所があることも知っておいてください。

📝 無料相談お申し込みフォーム

以下のフォームにご記入のうえ「送信」を押してください。
通常1営業日以内にご連絡いたします。

※ 本記事は筆者の個人的な実践の記録です。スマナサーラ長老・日本テーラワーダ仏教協会の公式見解ではありません。

毎朝4時半に神社へ行って瞑想しているけど、10秒も集中できない話

人生相談コラム

~ 「また集中が途切れた」が、実は正解だった ~


1. 毎朝4時半、神社への道を歩きながら

目覚ましが鳴るのは、4時半。

まだ空が暗い中、身支度をして外に出ます。向かう先は近くの神社です。境内で手を合わせ、御神水を汲んで帰ってくる。それだけで40分ほどかかります。

別に信心深いわけでも、修行僧になりたいわけでもありません。ただ、この早朝の散歩が、一日の始まりとして体に馴染んでいる。そして歩きながら、できる限り瞑想しようとしています。「しようとしている」というのが、正直なところです。

最初に断っておくと、私はまったく瞑想が「うまく」ありません。この記事は、瞑想の成功体験を書いたものではなく、毎朝ほぼ失敗しながら続けている人間の、正直な記録です。

2. 「膨らむ膨らむ……縮む縮む」と唱えながら歩く

私が実践しているのは、スマナサーラ長老(日本テーラワーダ仏教協会)が伝えるヴィパッサナー瞑想を、歩行に応用したやり方です。

本来の坐る瞑想では、お腹の動きに意識を向けながら「膨らみ…縮み…」と心の中で実況し続けます。息を吸ったらお腹が膨らむ。息を吐いたら縮む。ただそれだけを、観察し続ける。

私はこれを歩きながら応用しています。呼吸と歩調を合わせながら、心の中でこう唱えます。

吸うとき:膨らむ 膨らむ 膨らむ……
吐くとき:縮む 縮む 縮む……

歩きながら深呼吸し、それに言葉を添えて意識を呼吸に留め続ける。シンプルですが、これがなかなか難しい。

本来の歩く瞑想では、 「上がる、運ぶ、降りる」 ですが、私はの場合、これをやると膝に負担がかかるようなので、「膨らむ、縮む」に変えました。
💡 歩く瞑想について

テーラワーダ仏教の記録によれば、悟りを開いた修行者の多くは、座る瞑想よりも歩く瞑想に長い時間を費やしたとされています。眠くならない、体と心の調和が早まる、そして日常の中でそのまま実践できる。歩く瞑想には、座禅にはない実用的な強みがあります。

3. でも、10秒ともたない

正直に書きます。

「膨らむ膨らむ……」と唱え始めてから、10秒も経たないうちに、別のことを考え始めています。

向こうから人が歩いてくる。暗いし、ちょっと怖いな。
今日は午前中に〇〇さんとの打ち合わせがある。
昨日、あのLINEの返し方、まずかったかもしれない……

気がつくと、仕事のスケジュール、昨日の会話の反省、今日の夕飯のこと、先週読んだ本の内容——あらゆる妄想が頭の中を流れています。

「また集中できなかった」

そのたびに、少し恥ずかしい気持ちになります。毎朝やっているのに、いつまで経っても雑念だらけで。悟りどころか、10秒すら自分の呼吸に集中できない。

これが、私の3ヶ月間の実態です。

4. ヴィパッサナーとは「集中する」練習ではなかった

あるとき、スマナサーラ長老の解説を読み返していて、はっとしました。

ヴィパッサナーとは、パーリ語で「ありのままに観る」という意味です。「vi(ヴィ)」は「ありのままに・明瞭に・客観的に」、「passanā(パッサナー)」は「観察する・心の目で見る」。

つまり、「集中し続けること」が目標ではない。

「今この瞬間の自分に、気づくこと」が実践の本質なのです。

雑念が湧いたとき、ヴィパッサナーの用語では「サティ(気づき)」と呼ばれる瞬間が生まれます。「あ、また妄想していた」と気づいた、その瞬間こそが、実践の成功なのです。

💡 ヴィパッサナーの三原則(スマナサーラ長老の教えより)

① スローモーション——できるだけゆっくりと、動作を丁寧に行う
② 実況生中継——今していることを、頭の中で言葉で確認し続ける
③ 感覚の変化を感じ取る——解釈せず、ただ感じる

この三つを守って行動することが、ヴィパッサナーの実践です。「完全に集中し続ける」は含まれていません。

私はずっと、「集中が途切れること」を失敗だと思っていました。でも、そうではなかった。「途切れたことに気づく」——その気づきの瞬間こそが、この瞑想の核心だったのです。

5. 「気づいて戻す」の繰り返しが、心を育てる

この理解が変わってから、歩く時間が少し楽になりました。

妄想が浮かぶ。気づく。呼吸に戻す。また妄想が浮かぶ。気づく。戻す。

一度の40分の散歩で、この「気づいて戻す」を何十回と繰り返しています。うまくできているとも言えないし、下手だとも言えない。ただ、繰り返している。

「私たちは、ちょっとしたことで感動したり、悲しくなったり、暗くなったりしてしまいますが、このまだ育っていない子供のような心は成長できるはずです」
——アルボムッレ・スマナサーラ長老

子供のような心、という表現が刺さります。心は最初からできあがっているものではなく、練習によって育てるものだ、という考え方です。

筋肉トレーニングに似ているかもしれません。一回一回の「気づいて戻す」という動作が、心の筋肉を少しずつ鍛えている。目に見えて変化するわけではないけれど、確実に何かは積み重なっているはずだ、と信じながら続けています。

一般の人が悟りに近づくのは、なぜ難しいのか

「瞑想で悟りを得たい」と思って始める人は多いと思います。私もそうでした。

でも実際にやってみると、悟りどころか、呼吸に10秒も集中できない。この「理想と現実の落差」に、多くの人が挫折します。

その原因の一つは、私たちの日常の脳が「常に何かを考え続ける」ようにできているからです。スマナサーラ長老の言葉を借りれば、脳は「評価を下したり、防御や攻撃をしたり、無意識のうちに自動反応している」状態がデフォルトです。

瞑想は、その自動反応に「気づく」練習です。自動反応を止める練習ではありません。止めようとするから苦しくなる。ただ気づくだけでいい、と知ったとき、少しだけ前に進めた気がしました。

  • 「集中できない」は失敗ではなく、気づきのチャンス
  • 妄想に気づいた瞬間、それがすでに瞑想の成功
  • 悟りは遠くても、「今ここに戻る」練習は今日から始められる
  • 完璧を目指さない。ただ続けることに意味がある
6. 悟りは遠くても、朝の40分は確かに変わる

誤解のないように書いておきますが、私は悟りには程遠いです。

毎朝神社に通い、ヴィパッサナーを実践していても、昨日の仕事の失敗を引きずることもあるし、理不尽な出来事に腹が立つこともある。人間の感情はそんなに簡単には変わりません。

でも、一つだけ変わったことがあります。

「気づくのが少し、早くなった」という感覚です。

怒りや不安が湧いたとき、かつては気づかないまましばらく引きずっていたものが、「あ、今自分は焦っているな」「これは怒りだな」と、少し早めに気づけるようになった。気づいてしまえば、感情に飲み込まれる時間が短くなります。

それだけのことですが、一日の始まりの40分がそれを少し育ててくれている気がしています。

もし「瞑想に興味はあるけど、うまくできないから続かない」という方がいれば、伝えたいことがあります。

うまくできなくて、当然です。私も今日もうまくできませんでした。それでも神社への道を歩き、膨らむ縮むと唱え、また妄想して、また気づいて戻す。その繰り返しを、明日も続けます。


人生の迷いや悩みについて、一人で考えていても答えが出ないと感じることはありませんか。そんなときは、話を聞く場所があることも知っておいてください。

自然の中でひとり過ごす時間

📞 お電話でも受付中|土日・夜9時まで対応

📝 無料相談お申し込みフォーム

以下のフォームにご記入のうえ「送信」を押してください。
通常1営業日以内にご連絡いたします。

※ 本記事は筆者の個人的な瞑想実践の記録です。スマナサーラ長老・日本テーラワーダ仏教協会の公式見解ではありません。瞑想の実践に関心のある方は、同協会の書籍・法話をあわせてご参照ください。

一人の時間と自然が教えてくれること|人生のアイデアは静かな場所で生まれる

人生相談コラム

~ 答えは会議室ではなく、森や湖のそばにあった ~


1. 連休が終わるとき、ふと感じる「もったいなさ」

シルバーウィークや大型連休が終わりに近づくと、なんとも言えない気持ちになることはありませんか。

「結局、どこにも行かなかったな」
「行きたい場所はあったのに、誰かと予定が合わなくて」
「家でゴロゴロして終わってしまった」

でも、本当にもったいなかったのは「どこにも行かなかったこと」ではありません。

もったいなかったのは、「一人の時間」を自分に許さなかったこと。

実はこの「一人で過ごす時間」こそが、あなたの人生を次のステージに動かす力を持っています。

2. 自然の中で「ひとり」になると、なぜアイデアが湧くのか

私は若い頃から、一人で自然の中にいるのが好きでした。

北海道は恵まれた土地です。車を少し走らせれば、支笏湖、定山渓、ニセコの山々、大雪山の裾野。札幌市内でも、円山の森や藻岩山に入ればすぐに街の喧騒が消えます。

そうした場所でぼんやり過ごしていると、不思議なことが起きます。

「あ、あの仕事、こうすればいいんだ」
「自分が本当にやりたかったことって、これかもしれない」
「別にあの人に認めてもらわなくても、いいんじゃないか」

誰に聞いたわけでもないのに、答えのようなものがすっと浮かんでくる。これは偶然ではありません。

なぜ自然の中で発想が生まれるのか

人間の脳は、情報が少ない静かな環境に置かれると、「デフォルトモードネットワーク」と呼ばれる回路が活性化します。これは、ぼんやりしているときに過去の記憶や将来の展望を自動的に結びつけてくれる脳の機能です。

つまり、自然の中でぼーっとしている時間は、脳が「人生の棚卸し」をしている時間なのです。

3. オフィスでも自宅でも浮かばない理由

「だったら家でじっくり考えればいいじゃないか」と思うかもしれません。

でも、自宅で人生の大きな問いに向き合おうとしても、うまくいかないことのほうが多い。なぜでしょうか。

日常の「ノイズ」が多すぎる

スマホの通知、溜まった家事、テレビの音、LINEの返信待ち。自宅にいると、意識しなくても脳は常に「処理すべきタスク」を探し続けています。

オフィスではさらにそうです。メール、電話、上司の顔色、締め切り。そんな環境で「自分はこれからどう生きたいか」なんて考えられるはずがありません。

場所を変えることの力

これは「転地効果」と呼ばれるもので、昔から湯治や保養で知られてきた知恵です。物理的に場所を変えるだけで、思考の枠組みそのものが変わります。

わざわざ遠出する必要はありません。普段のルートを外れて、近くの公園や川辺を歩くだけでも効果があります。大切なのは、「日常の延長線上にいない」という感覚です。

4. 私が定山渓のほとりで見つけたもの

少し個人的な話をさせてください。

私はもともと、集団に馴染めないタイプの人間でした。会社という組織で出世しようとか、大きな成果を出そうとか、そういう野心は持てなかった。

20代の頃ある時、私はお父さんに誘われて定山渓温泉に行きました。もういい年でしたので、両親と3人で温泉なんてなかなか行かなかったのですが、なぜかその時は、まぁいいかと思って行きました。そして特に目的もなく一人定山渓の麓を眺めていました。

そのとき、ふと思ったのです。

「自分は人に何かを教えるのは苦手だけど、
話を聞いて、一緒に考えることならできるかもしれない」

それが、今の「個人のための無料人生相談」という仕事の原点です。

振り返れば、独立開業の決断も、社会福祉士の資格を取ろうと思ったことも、すべて一人で自然の中にいるときに浮かんだアイデアでした。会議室で生まれたものは、一つもありません。

「何も決まっていない」のが、いい状態

一人で自然の中にいるとき、無理に答えを出そうとする必要はありません。「まだ何も決まっていない」「まだ考え中」という状態こそ、脳が自由に発想できる余白です。結論を急ぐと、たいてい「今までと同じ選択」に落ち着いてしまいます。

5. 「一人の時間」は贅沢ではなく、人生の必需品

日本社会では「一人でいること」にネガティブなイメージがつきまといます。

一人で食事をすると「ぼっち飯」。一人で旅行に行くと「寂しくないの?」。一人で映画を観ると「誰もいなかったの?」。

でも、考えてみてください。

あなたの人生を変えるような大きな決断は、大勢の飲み会で生まれましたか? グループLINEのやりとりから生まれましたか?

たいていは、一人で静かに考えているときに、心が決まったはずです。

一人の時間は贅沢品ではありません。特に「このままでいいのか」「人生を変えたい」と感じている人にとって、それは必需品です。

  • 一人の時間は「孤独」ではなく「自分との対話」
  • 答えは誰かからもらうものではなく、自分の中にある
  • 自然が教えてくれるのではなく、自然が「邪魔をしない」から気づける
  • 焦って答えを出す必要はない。ただ余白をつくるだけでいい
自然の中でひとり過ごす時間
6. 今日からできる、小さな「ひとり自然時間」のつくり方

「忙しくて自然の中に行く時間なんかない」という方もいるでしょう。大丈夫です。大げさなことをする必要はありません。

週に一度、30分だけ外を歩く

近所の公園でも、河川敷でも構いません。スマホはポケットにしまって、ただ歩く。それだけで十分です。

「何も考えない時間」を自分に許す

効率を求めるクセがついている人ほど、「何もしない時間」に罪悪感を感じます。でも、その「何もしない時間」こそが、脳の最も創造的な時間帯です。

一人旅のハードルを下げる

泊まりがけの旅行でなくても、日帰りで十分です。札幌なら、朝早く出て支笏湖に行き、湖畔で温泉に入って夕方には帰れます。それだけで、頭の中がリセットされるのを実感できるはずです。

一人が苦手な方へ

「一人でいるのが好き」という人ばかりではないことも分かっています。もし一人で考え事をするのが苦手なら、誰か一人だけ、あなたの話を邪魔しないで聞いてくれる人がいれば十分です。

それが友人でも、家族でも、あるいは私のような相談の仕事をしている人間でも構いません。大事なのは、「自分のための時間」を持つことです。


人生を変えるきっかけは、意外と静かな場所に転がっています。次の休みの日、ほんの少しだけ、一人で外に出てみてください。何も持たず、何も決めず、ただ風を感じるだけで大丈夫です。

そんな段階でのご相談を歓迎しています。



📞 お電話でも受付中|土日・夜9時まで対応

📝 無料相談お申し込みフォーム

以下のフォームにご記入のうえ「送信」を押してください。
通常1営業日以内にご連絡いたします。

※ 本記事は筆者の経験と相談事例をもとにした個人の見解です。具体的な法律相談・キャリア相談については個別にお問い合わせください。

このままでいいのか、と感じたシルバーウィーク|人生相談

/

人生相談コラム

〜 連休中に浮かんだ「違和感」は、あなたからのサイン 〜


シルバーウィーク、いかがお過ごしでしょうか。

ゆっくり休めた方もいれば、家族と過ごしながらも「なんとなく晴れない気分のまま連休が終わりそう」という方もいらっしゃるかもしれません。

じつは、私のところに相談が来るのは、こういう「まとまった休みの後」が多いんです。

普段は仕事に追われて考えないようにしている「あの気持ち」が、休日になると浮かんでくる。

今日はそんな気持ちについて、書いてみたいと思います。


1. 連休中に浮かぶ、あの気持ち

普段は朝の通勤電車に揺られ、会議に出て、日報を書いて、帰る。
その繰り返しの中では考えないようにしていることが、連休になると急に頭をもたげてくる。

「このまま同じ会社に居続けていいのだろうか」

「毎日こんなに疲れているのに、何のために働いているんだろう」

「もし独立したら……いや、でも怖いな」

「自分には、もっと合った生き方があるんじゃないか」

こういう気持ちが浮かんでくる連休は、ある意味で「正直な自分」が顔を出している時間だと思います。

忙しさというノイズが消えた瞬間に、本当の自分の声が聞こえてくる。
それは「考えすぎ」なのではなく、あなた自身からのサインです。


2. 「考えすぎ」じゃなくていい

「せっかくの休みなのに暗いことばかり考えてしまった」と自分を責める方がいらっしゃいます。

でも、私はそれは違うと思っています。

休日にそういう気持ちが出てくるのは、あなたが今の状況を真剣に考えている証拠です。

💡 相談に来られる方の共通点

見て見ぬふりをして何年も過ごす人もいれば、「なんか違う」という感覚を手がかりに動き出す人もいる。

その違いは、才能でも行動力でもなく、「気持ちに正直に向き合えるかどうか」。これは多くの方と話してきて感じていることです。

連休中に感じたモヤモヤは、あなたの弱さではありません。
それは、変化への準備が始まっているサインです。


3. 私がダブルライセンスを取った理由

少しだけ、私自身の話をさせてください。

私も以前は「このままでいいのだろうか」と感じていた一人です。

行政書士の資格を取り、社会保険労務士の資格も取り、さらに社会福祉士の資格も取得しました。いわゆる「トリプルライセンス」です。

でも、最初からこの道が見えていたわけではありません。

「今のままじゃ何か足りない」

「自分にはもっとできることがあるはずだ」

そんな漠然とした違和感がスタートでした。

だから、今あなたが感じている「このままでいいのか」という気持ちを、私は否定しません。
むしろ、それがあったからこそ今の自分があると思っています。


4. 「動く」のはもっと後でいい

とはいえ、「じゃあすぐ独立しましょう」とか「会社を辞めましょう」なんて言うつもりはまったくありません。

今の段階で大事なのは、こういうことです

  • 「このままでいいのか」と感じたこと自体を認める
  • その気持ちを「考えすぎ」と片づけない
  • いきなり結論を出そうとしない
  • 誰かに話してみる

特に4つ目。
家族でも友人でもなく、利害関係のない第三者に話すというのが意外と大事です。

家族に話すと心配されるし、友人に話すと「考えすぎだよ」と言われることが多い。
職場の人には当然話せない。

だから「ちょっと聞いてもらいたいだけなんだけど」という相談が、実は一番多いんです。


5. 連休明けにできる、たった一つのこと

もし今この記事を読んで「ちょっと自分のことかも」と思ったなら、やってみてほしいことが一つだけあります。

📝 今の気持ちを、スマホのメモに書いてみてください

「今の仕事の何が嫌か」「本当はどうしたいか」「怖いと感じていること」

整理する必要はありません。思いつくままに、箇条書きでOKです。

書くだけで、驚くほど頭の中がクリアになります。

そして、そのメモを持って誰かに話してみる。
それが友人でもいいし、私でもいい。

大きな決断は、その後でいいんです。


→ あわせて読みたい:
「会社員に向いていない人の生き方とは?内向型・独立志向の方への人生相談」

→ 内向型の人が仕事で疲れやすいのはなぜ?


✍ この記事を書いた人

筒井 久司(つつい ひさし)

五合庵社会福祉士事務所 代表
行政書士・社会保険労務士・社会福祉士

札幌を拠点に、「会社員として生きづらさを感じている方」「独立開業を考えているが一歩が踏み出せない方」の人生相談を行っています。資格や経験を活かしたキャリア相談から、漠然とした不安の整理まで、まずは話を聞くことから始めます。

💬 まずは話すことから始めてみませんか?

「まだ何も決まっていない」「ただ聞いてほしい」
そんな段階でのご相談を歓迎しています。

📞 お電話でも受付中|土日・夜9時まで対応

📋 無料相談お申し込みフォーム

以下のフォームにご記入のうえ「送信」を押してください。
通常1営業日以内にご連絡いたします。

※ 本記事は筆者の経験と相談事例をもとにした個人の見解です。具体的な法律相談・キャリア相談については個別にお問い合わせください。

会社員に向いていない人の生き方とは?内向型・独立志向の方への人生相談

「会社員が向いていないのかもしれない」

そう感じたことが、一度でもありますか?

朝、会社に行くのが辛い。会議で発言できない。上司や同僚とうまくやれない。残業や飲み会が苦痛でたまらない。

でも、だからといって「じゃあどうする?」という答えが見つからない。転職しても同じことの繰り返しになりそうで、一歩が踏み出せない。

そんな方が、五合庵社会福祉士事務所にはよく相談にいらっしゃいます。

「会社員に向いていない人」は、本当にいる

まず、お伝えしたいことがあります。

「会社員に向いていない」というのは、性格の欠点でも、努力不足でもありません。

人間には、大きく分けて2つのタイプがあります。集団の中でエネルギーを得る「外向型」と、一人の時間や深い集中の中でエネルギーを得る「内向型」です。

会社という組織は、そもそも「外向型」が動かしやすい仕組みでできています。大勢での会議、活発なコミュニケーション、目立つことへの評価——。これらが得意な人が出世し、活躍しやすい構造になっています。

内向型の人が「会社でうまくやれない」のは、当然と言えば当然のことなのです。

内向型の人が感じやすい「生きづらさ」

こんな悩みはありませんか?

– 職場の雑談や飲み会が消耗する
– 大勢の前で話すと頭が真っ白になる
– 「もっと積極的に」と言われるが、どうすればいいかわからない
– 一人でじっくり考える仕事は得意なのに、評価されない
– 自分に合っている仕事が何なのか、まったくわからない
– 転職を繰り返しても、同じ悩みが続いている

これらは、あなたの「弱さ」ではありません。内向型の人が、外向型向けに設計された環境に置かれたときに起きる、ごく自然な反応です。

 

 では、内向型の人はどう生きればいいのか

答えは一つではありません。でも、方向性はあります。

「外向型に合わせて頑張る」ではなく、「内向型の強みを活かせる場所・仕事を探す」こと。

具体的には、こんな選択肢が考えられます。

1. 今の職場の中で、自分に合う仕事内容・ポジションを探す
必ずしも転職が正解とは限りません。同じ会社の中でも、一人で集中して取り組める業務や、少人数でのチームに移ることで、働きやすさが大きく変わる場合があります。

2. 「独立・フリーランス」という選択肢を検討する
内向型の人が最も力を発揮しやすいのは、「自分のペースで、自分の得意なことに集中できる環境」です。フリーランスや個人事業は、まさにそれに近い働き方です。資格がなくても始められる仕事も多くあります。

3. 「好きなこと・気になること」を仕事に近づける
「好きな道に賭ける」という選択肢もあります。収入だけを基準に仕事を選ぶのをやめ、自分が本当にやりたいことを起点に考え直す。そこから人生が変わった方を、私はたくさん見てきました。

 相談者からよく聞く言葉

「自分がどうしたいのか、もうわからない」

これが、相談に来られる方の多くが最初におっしゃる言葉です。

長年、「こうしなければならない」という外からのプレッシャーの中で生きてきた結果、自分の本当の気持ちや向き不向きが、わからなくなってしまっているのです。

そういう方に対して、私がしていることはシンプルです。

ただ、話をじっくり聞く。そして、その人の中にすでにある「答えの種」を一緒に見つけていく。

アドバイスを押しつけることはしません。「こうすべき」という正解を出すことも目的ではありません。あなた自身が「こう生きたい」と感じられる道を、一緒に探していくのが、五合庵の人生相談です。

 五合庵の人生相談について

五合庵社会福祉士事務所では、個人の方を対象に、無料の人生相談を行っています。

相談日は毎週火曜日・木曜日・土曜日。完全予約制です。

対象となる相談内容:

– 会社員を続けるべきか、やめるべきか迷っている
– 独立・フリーランス・個人事業に興味があるが、何から始めればいいかわからない
– 自分に合っている仕事・生き方を探したい
– 内向的な自分のまま、幸せに生きる方法を知りたい
– 人生の方向性について、誰かに話を聞いてほしい

資格や経歴は関係ありません。「まだ何も決まっていない」という段階でも、ぜひご相談ください。

運営者について

五合庵社会福祉士事務所の代表・筒井久司(つつい ひさし)は、自身も「集団が苦手な内向型」として生きてきた人間です。

社会福祉士・精神保健福祉士・行政書士・社会保険労務士の資格を持ちながら、「資格のために生きている」のではなく、「人の相談に乗るために、たまたま資格を取った」というのが本人の弁です。

1998年の開業以来、老若男女を問わず、個人の方の人生相談を無料で受け続けています。

まずはメールフォームからご連絡ください
相談は完全無料・完全予約制です。まずはメールフォームからご連絡ください。

折り返し、相談の日程をご案内します。

→ ご相談はこちらから
五合庵社会福祉士事務所
〒003-0023 北海道札幌市白石区南郷通14丁目北1-4 ニューフロンティアビル3階
相談日:火曜・木曜・土曜(要予約)

→ 人前で緊張して体が震えるのは、止めなくていい