変な夢ばかり見るのはなぜ?——夢も「妄想」だと知ると、夜が少し静かになる
因果のはなし
私は、夢をたくさん見るほうです。眠りが浅いのだと思います。
しかも、見る夢がたいてい変な夢です。怖い目にあう夢、誰かに本気で腹を立てている夢。夢の中でブチ切れて大声を出し、その自分の声で、はっと目が覚めることもあります。
目が覚めても、嫌な気分だけが体にべったり残っている。そのままトイレに行って、もう一度寝ようとするのですが、胸のざわざわが消えなくて眠れない。そんな夜がときどきあります。
こういうこと、ありませんか?
毎朝、瞑想を続けています。それでも夢はこの調子です。瞑想を続けていけば、いつかこういう夢は見なくなるのだろうか——。ちょうどそんなことを考えていたとき、同じ疑問をスマナサーラ長老にぶつけた人の質疑を読みました。
長老の答えは、拍子抜けするほどあっさりしていました。夢というのは、誰が見ても妄想。だから、そんなに気にすることはない、と。
言われてみれば、私たちは起きているときも妄想しています。昔の出来事を思い出して腹を立てたり、まだ起きてもいないことを心配したり。現実とは関係のない話を頭の中で勝手に作っているという点では、夢とまったく同じです。
ちがうのは、眠っているか、起きているかだけ。夢は、寝ている間も止まらない妄想の続きなのです。
夢が妄想の延長なら、あれだけ変な夢を見る自分は、昼間もそれだけ妄想しているということになります。朝30分や40分の瞑想では、とても心はきれいにならないんだなあ、と。
では、その妄想は何から生まれるのか。長老は「感情」だと言います。気分が悪くなった、好きになった、欲しくなった、プライドが傷ついた——そうした感情が入ってくると、心は勝手に話を作り始める、と。
| 怒り | 「なんであの人は、あんなことを」と、一人で相手を責める話が続く |
|---|---|
| 欲 | 「よかったなあ」「もう一度見たい」と、同じ場面を何度もくり返す |
| 興奮・プライド | 傷ついた、見返したい、という気持ちが、さらに話を膨らませる |
夢の中でも同じことが起きている、というのが長老の説明です。
自分の夢に当てはめてみると、思い当たることばかりでした。大声で目が覚めるような怒りの夢は、昼間に飲み込んだはずの怒りの続き。仏教でいう「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」——欲と怒りと無知——が、自分の中でまだまだ大きいということなのでしょう。夢は、ごまかしがききません。
ただ、長老の話には続きがありました。
夢の中は、どうがんばってもコントロールできない。だから、そこは放っておいてください、というのです。気をつけるべきは、起きている間の妄想のほうだ、と。
生きている時間は短い。妄想している時間の生産性はゼロ。だから、妄想する時間をとことん減らすこと——というのが長老の考え方です。
最初は「しょうがない、と言われても……」と、ちょっと突き放されたような気がしました。でも何度か読み返すうちに、これは救いの言葉なのだと思えてきました。
夢の内容で自分を責めても、何も変わらない。変えられるのは、目が覚めている間の心のほうだけ。だったら、手の届くところから始めればいい。そう考えると、少し肩の力が抜けました。
もちろん長老も、夢はどうでもいいと言っているわけではありません。興奮する夢を朝まで見続けると、体がしっかり休めない。夢を見ずにぐっすり眠れたほうが、次の日がんばれる。静かな眠りのほうが得であることに、変わりはないのです。
長老の話で、いちばん「なるほど」と思ったのがここです。仏典の注釈書には、夢の原因がもうひとつ挙げられているそうです。それが「体調」。
足が痛む、お腹の調子が悪い、食べたものが重くて消化に時間がかかっている。体のどこかに変化があると、神経が刺激されて脳に伝わり、脳が幻のような映像を作り出すのだそうです。
おもしろいのは、ときに「反対」の夢になるという話です。ごちそうをたくさん食べる夢を見たときは、むしろお腹の調子が悪いのかもしれない。体の不調を、頭が逆の形で描いてしまうことがあるのです。
これを読んで思い当たったのが、夜中のトイレです。去年くらいまでは一晩に一回だったのが、最近は二回起きるようになりました。眠りが細切れになれば、夢を見る回数も増えるし、変な夢も混ざりやすくなる。変な夢が多いのは、心だけの問題ではなかったのかもしれません。
そう思えたら、少しほっとしました。悪い夢を見たからといって、自分の心を責めすぎる必要はないのです。
さて、いちばん知りたかった質問です。ヴィパッサナー瞑想を続ければ、夢は見なくなるのでしょうか。
長老の答えは「ケースバイケース」。一般的には、かなり少なくなるそうです。しっかり瞑想して頭を使った日は、すっと深く眠れる。感情に引っぱられる心を制御できるようになるほど、夢もその分減っていく、と。
ただし、完全に消えるとは言えないとも付け加えています。仏典にも「瞑想の達人は夢を見ない」という記述はないそうです。どれだけ修行が進んでも、体調を崩すことはある。体から来る夢までは止められないのです。
では、何が変わるのか。長老の結論はこうでした。
嫌な夢、変な夢は減る。夢の中で怒ったり、欲を出したり、悪いことをしたりする夢は消えていく。かわりに、穏やかで気分のよくなる夢に変わっていく。ひとことで言えば——「悪夢は見なくなります」。
「夢を見なくなる」ではなく、「悪夢を見なくなる」。この正直な言い方に、私はかえって安心しました。完璧を目指さなくていい。怒りで飛び起きる夜が、少しずつ減っていけばいいのです。
変な夢ばかり、と書きましたが、良い夢もたまにはあります。
振り返ると、とても良い人との出会いがあった時期や、心が満たされていた時期には、幸せな夢を見ていました。ただ、これまでの人生でそういう時期は本当に短かった。良い夢が少し続くこともありますが、たいていは単発で、ぽつんと見るくらいです。
私の場合、よく夢に出てくるのが両親です。たまに父と大げんかしている夢も見ますが、両親が出てくる夢は、だいたい良い夢です。夢の中で両親がとても優しくしてくれて、私はワンワン泣いている。そのまま目が覚めて、顔が涙だらけになっていることもあります。
そんな朝は、不思議と心が軽くなっています。ひょっとすると、夢の中で何かをはき出しているのかもしれません。
長老の話と重ねてみると、夢はやはり昼間の心を映す鏡なのだと思います。心が荒れている時期は夢も荒れ、満たされている時期は夢も穏やかになる。怒りの夢は、まだ手放せていない怒りがあるというサイン。穏やかな夢は、心が少し落ち着いてきたというサイン。そう受け取れば、悪い夢も、ただ嫌なだけのものではなくなります。
実は、少しでも良い夢を見たくて、布団を替えてみたりもしました。でも、夢はなかなか変わりません。
長老の話を読んだ今なら、理由がわかります。夢の材料は、昼間の感情と体調。布団の上でいくら工夫しても、材料が同じなら、出てくる夢も同じなのです。
だから、これからは順番を変えてみようと思っています。夢そのものではなく、夢の材料のほうに手を入れる。いま試してみようと思っているのは、こんな小さなことです。
- 寝る前に、今日いちばん引っかかっていることを一つ思い出し、「まだ持ってるな」と気づくだけにする
- 布団に入ったら、お腹の「膨らむ、縮む」をしばらく感じてから眠る
- 夕食を重くしすぎない。消化の負担も、夢の材料になる
- 嫌な夢で目が覚めたら、「夢だった。妄想だった」と心の中で確認して、内容は追いかけない
どれも数十秒で終わることばかりです。それでも、怒りの夢で飛び起きる夜が一回でも減れば十分。朝の瞑想を続けながら、気長に付き合っていこうと思います。
そうとは限りません。長老の話にあるように、夢には感情だけでなく体調も関わっています。眠りが浅い時期や、夜中に何度も目が覚める時期には、誰でも変な夢を見やすくなります。夢の内容で自分を責めるより、昼間の心と体を整えることに目を向けてみてください。
長老は「ケースバイケース」と答えています。夢は全体として減っていくものの、体調から来る夢まではなくならない、と。仏典にも「瞑想の達人は夢を見ない」という記述はないそうです。目指すのは夢をゼロにすることではなく、悪夢が減って穏やかな夢に変わっていくことです。
夢の内容を思い返し始めると、それ自体が新しい妄想になって、目が冴えてしまいます。「夢だった」と一度確認したら、内容は追いかけず、呼吸やお腹の動きに意識を戻してみてください。眠ろうと力むより、ただ感じているほうが自然に眠りに戻りやすくなります。
夢の中のことはコントロールできないので、見てしまうのは仕方がありません。ただ、目が覚めてから「もう一度見たい」と追いかけ始めると、それは欲の妄想になります。良い夢も悪い夢も、「夢だった」と気づいたら手放す。それで十分です。
同じことを考え続けて眠れない。
嫌な夢のあと、気分が晴れない。
うまく言葉にならなくても大丈夫です。
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