「自分」って、本当にいるんだろうか——初期仏教「無我」をわかりやすく考える
「自分はいない」——そう言われても困ります

「自分がない」——そう言われても、困ってしまいます。

今ここでこの文章を読んでいる”あなた”は、確かにいます。そう感じるのが普通ではないでしょうか。

でも、テーラワーダ仏教(初期仏教)では、その「自分がいる」という感覚こそが幻想だと言います。

スマナサーラ長老はこう言っています。

💬 スマナサーラ長老の言葉

「”私”は成り立たない。身体と感覚と思考が、川のように流れているだけです」

難しく聞こえます。けれど、もう少し噛み砕いてみると、少しだけ見えてくるものがあります。

ボールペンを分解したら、ボールペンはどこに行くのか

ボールペンを分解してみます。

インク、軸、キャップ、ばね。バラバラになったとき「ボールペンはどこにあるのか?」と聞かれたら、答えに詰まってしまいます。

スマナサーラ長老はこれと同じことを、「私」について言っています。

身体、感覚、思考——これらを丁寧に観察していくと、「私」という固まった何かがあるわけではなく、無数の現象が川のように流れているだけだと見えてくる、というのです。

「私」とは、その流れにつけた集合名詞に過ぎない、と。

「変わらない自分」は存在しない

初期仏教の核心にある考え方があります。

💡 初期仏教の核心

「生じたものは、すべて変化し、やがて滅する」

昨日の自分と今日の自分は、細胞も考えも感情も、少しずつ違います。「10年前の自分」と今の自分が同じ人間だと感じるのは、記憶がつなぎ合わせた物語であって、固定した実体があるわけではありません。

滝は常に流れています。でも「滝」という名前はあります。それと同じことです。

「自分がない」はニヒリズムではありません

「自分がないなら、何をやっても意味がないじゃないか」と思う方もいるかもしれません。

でも、初期仏教が言う「無我」はそういう話ではありません。

むしろ逆で、「変わらない自分」という幻想への執着をやめたとき、はじめて今この瞬間を軽やかに生きられる、というのがその核心です。

「生じるものは、すべて滅する」——この因果の法則は、絶望ではなく、今ここだけに集中する理由として受け取ることができます。

頭でわかることと、腑に落ちることの間

正直に言えば、これを読んで「なるほど、自分はいないんだな」とすっきり理解できる方はほとんどいないと思います。

瞑想の実践の中で、身体の感覚を丁寧に観察し続けること。そのプロセスの中でしか、この「理解」は訪れないとスマナサーラ長老は言っています。

⚠️ 注意点

無理に「自分がない」と思い込もうとすると、それ自体が新たな固定観念になってしまいます。客観的に身体の感覚を観察することが出発点だ、と長老は言っています。

「自分」って、本当にいるんだろうか——初期仏教「無我」をわかりやすく考える
問いとして持ち続けること

「自分はいるのか、いないのか」

この問いに即答しようとしなくて大丈夫です。

「当たり前に思っていた”自分”を、少し疑ってみる」——その余白を持つだけで、日常の見え方が少し変わってくるかもしれません。


よくある質問
Q. 「無我」を理解するには何から始めればいいですか?
スマナサーラ長老は「まず身体の感覚を客観的に観察すること」を勧めています。難しい概念を頭で理解しようとするより、瞑想の実践を通じて少しずつ気づいていくことが近道とされています。
Q. 「自分がない」という感覚は、普通の生活で役に立ちますか?
直接「役に立つ」というより、「変わらない自分」への執着が薄れると、失敗や批判に過度に揺さぶられにくくなる、という変化を感じる方が多いようです。今この瞬間に集中しやすくなる、という実感から入るのがわかりやすいかもしれません。
Q. テーラワーダ仏教と日本の仏教は何が違うのですか?
テーラワーダ(上座部仏教)は、釈迦の教えに最も近いとされる初期仏教の流れを汲むもので、タイ・スリランカ・ミャンマーなどで広く信仰されています。日本の仏教(大乗仏教)とは教義や実践方法が異なる部分も多く、瞑想(ヴィパッサナー)の実践を重視することが特徴です。
「このまま続けていいのか」——そう思ったら、一度話してみてください

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古本屋で見つけた一冊が、会社をやめた私を救った——本多信一さんとの出会い

本多信一シリーズ② 出会い篇

~ 手紙を書いて、訪ねた日のこと ~


1. 「このまま続けられるのか」と限界を感じたとき

会社員として働いていると、ふとした瞬間に気づくことがあります。

「朝、出社するのがつらい。でも理由をうまく説明できない」
「周りはみんな普通にやっているのに、なぜ自分だけうまくいかないのか」

そういう感覚、覚えたことはないでしょうか。

これは、怠けているわけでも、精神的に弱いわけでもありません。単純に「環境と気質が合っていない」だけかもしれません。

ここでは、筆者(このサイトの管理者)がかつて東京でそのような状況に陥り、ある一冊の本との出会いで人生が変わった体験をお伝えします。


2. 東京の古本屋で見つけた一冊

札幌で生まれ育ち、大学を卒業してから初めて東京の会社に就職しました。22歳のことです。

もともと内向的で、組織の中で立ち回ることが得意ではありませんでした。それでも、「システムエンジニアとしてなら、技術を軸に働けるかもしれない」という一縷の望みを持って飛び込んだのです。

しかし、現実はやはり厳しかった。

仕事そのものよりも、職場という「場」にいること自体がしんどかった。東京に知人もなく、ひとりで悩みを抱えたまま時間だけが過ぎていきました。そして就職から半年ほど経ったある日、近所の古本屋でその本を見つけました。

古本屋で手に取った、一冊の本

ある日、近所の古本屋で一冊の文庫本を見つけました。

タイトルは、「内向型人間の生き方にはコツがある」(本多信一 著)。

「内向型」という言葉が目に飛び込んできた瞬間、手が止まりました。表紙を開くと、こんなことが書いてありました。

内向型の人間が外向型のやり方を真似しても、うまくいかない。内向型には内向型の、独自の生き方のコツがある。 ——本多信一『内向型人間の生き方にはコツがある』より(趣意)

それまで「自分が弱いから」「努力が足りないから」と思っていたのですが、この一文で認識が変わりました。性格の問題ではなく、やり方の問題だったのかもしれない、と。


3. 四谷に「無料職業相談所」を開いていた人

本多信一さんは、中小企業診断士として独立した方です。ご本人も内向型で、大手報道機関(時事通信社)を退職して独立した経緯を持っています。

そして驚いたのは、本の巻末にこんな案内があったことです。

💡 本の巻末に書かれていたこと

「個人のための無料職業相談所」を東京・四谷に開設しています。
ご相談は手紙で申し込んでください。

「無料で、個人の仕事や生き方の相談に乗ってくれる場所が、東京の四谷にある」——当時の自分には信じられませんでした。しかも、申し込みは手紙で。

内向型の人間向けに、内向型の人間が作った場所。そういう感じがして、迷わず便箋を取り出しました。


4. 手紙を書いて、会いに行った

手紙を書いて送ったところ、本多さんから返事が届き、訪問が実現しました。

東京にいた2年間で、合計3回ほど伺いました。

初めて会った日のこと

相談所は、四谷の静かな場所にある小さな事務所でした。

どんな人が出てくるのだろうと緊張していたのですが、本多さんは思っていたとおり、静かな方でした。

「手紙を読みました。どうぞ」と言って、向かい合わせに座りました。

当時22歳だった自分には、まだうまく言語化できていないモヤモヤがたくさんありました。それでも、「話を聞いてもらえる場所がある」というだけで、少し気持ちが軽くなりました。

今でも本多さんの事務所を出た帰りの電車のプラットフォームで、力が抜けなぜか呆然と幸福感に包まれた自分をありありと思い出すことができます。


本多信一さんとの出会い
5. 「もういい、やめなさい」

3回目の訪問は、少し特別な状況でした。

その日の朝、いつものように出社しようと電車に乗ったのですが、途中でもう足が動かなくなりました。

会社には風邪と連絡して、そのまま本多さんの事務所に向かいました。

そのときの本多さんの言葉
もういい。やめなさい。 ——本多信一さん

長い説明も慰めの言葉もなく、ただそれだけ言ってくれました。

「もういい」という言葉が、どれほど救いになったか。今でも鮮明に覚えています。

「やめることは逃げではない。それどころか、合わない場所に居続けることの方が、長い目で見ればリスクになる」——本多さんの本を読み、実際に会ったことで、ようやくそう思えるようになりました。


6. 本多さんの相談スタイルが、独特だった

本多さんの相談スタイルは、一般的なカウンセリングのイメージとは全く異なっていました。

じっくり話を聞いて、「それはつらかったですね」と共感する——そういうスタイルではありません。

📝 本多さんの相談スタイル

相手の話を聞きながら、紙に次々と書きながら一方的に語り続ける。「こういう方法がある。こういう選択肢もある」と、どんどん可能性を提示していく。

大きな声でまくし立てるわけでもなく、静かに、でも淀みなく言葉が流れてくる。内向型の仙人が、静かに語り続ける——そんな感じでした。

「聞いてほしい」という気持ちが先にあった自分には、最初は少し戸惑いがありました。でも振り返ると、あのスタイルが正解だったと思います。

実際に紙に書いてくれたこと

本多さんが最初の相談でくれたアドバイスを、今でも覚えています。紙に書きながら、こんな内容を矢継ぎ早に話してくれました。

📄 本多さんが紙に書きながら話してくれたこと
  • 数学の個人塾を開くこと。理数系が得意なら、小・中・高校生を対象にした塾は需要がある。一人でできる仕事だ。
  • 内向型の人でもできる仕事に就くための資格を取ること。危険物取扱者などの資格をとって、ビルの夜勤の仕事に就く。「これまでそのようにアドバイスして、ビルメンテナンスの仕事についた内向型の人がたくさんいるよ」と言われました。

自分の状況を聞きながら、目の前の人間に合わせた選択肢を、即座に紙に落としていく。まるで頭の中に地図がある人のようでした。「やはりこの人はただものじゃない」と感じた瞬間でした。

悩んでいるとき、人は「答えを出してほしい」のではなく「可能性を見せてほしい」のかもしれません。本多さんは、言葉ではなく紙に書きながら、次々と「出口」を示してくれていたのです。

本多さんとのご縁は、このあとも続きました。会社を辞めてから十数年後、札幌で続けていた介護の会社を閉めたあと、数年ぶりに本多さんを訪ねています。そのとき言われたのが、「これからはNPO法人をつくる人が増えるから、行政書士はどうか」「北海道にはこれから外国からの観光客が押し寄せる」という助言でした。その話は、努力しても結果が出ないのはなぜ?の記事に書いています。

7. 「やめる決断」ができるまで

3回の訪問を経て、ようやく会社を辞める決断ができました。

「辞める決断」というと、なんだか劇的に聞こえるかもしれません。でも実際は、少しずつ「やめてもいい」という許可を自分に出していく作業でした。

本多さんの存在がなければ、あのまま消耗し続けていたかもしれません。あるいは、もっと遅い時期に、もっとひどい状態で辞めることになっていたかもしれません。

💡 振り返って思うこと

「合わない場所でがんばり続けること」と「合う場所を探してそこで全力を出すこと」——どちらが自分の人生にとってプラスかは、言うまでもありません。

ただ、それを頭でわかっていても、なかなか動けないのが人間です。だからこそ、外から「もういい」と言ってくれる存在が必要なときがあります。

本多信一さんとの出会いは、私にとってその「外からの声」でした。

本多さんの著書『幸福に生きた内気なネコの話』から、内向型の生き方のヒントを紹介した記事もあります。下のリンクからどうぞ。


8. よくある質問
Q. 「会社員向いていない」と感じるのは、単なる甘えではないか?
A. 「甘え」という言葉は、本当によく使われます。でも、内向型の人が外向型の職場環境で消耗するのは、気質の問題であって意志の問題ではありません。内向型の脳は刺激の処理コストが高く、集団・競争・雑談が多い環境では単純に疲弊しやすいことが、心理学の研究でも示されています。「向いていない」という感覚は、多くの場合、正確なシグナルです。
Q. 「内向型」と「うつ」はどう違う?
A. 内向型は気質(生まれつきの性質)であり、病気ではありません。一方で、内向型が無理して外向型の環境に長く身を置くと、疲弊や無気力につながることがあります。「つらい状態が2週間以上続いている」「眠れない・食べられない」という場合は、専門家(医師やカウンセラー)への相談も検討してください。
Q. 「やめる」以外の選択肢はないのか?
A. もちろんあります。部署異動・在宅勤務・副業・社内での役割変更など、「やめなくても変えられること」は意外と多いです。ただ、「やめることを選択肢の一つとして持てるかどうか」は重要です。やめられないと思い込むことで、選択肢が見えなくなることがよくあります。
Q. 本多信一さんの著書はどこで読めるか?
A. Amazonの本多信一さんの著者ページから、多数の著作を確認できます。古本でも入手しやすい作品が多いです。

一度話してみてください

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内気なままでいい。本多信一「幸福に生きた内気なネコの話」が教えてくれること

「内気な性格を、なんとかしなきゃ」と思ったことはありませんか。人前でうまく話せない。にぎやかな場所にいると、なぜかぐったり疲れてしまう。

今回は、そんな人にそっと寄り添ってくれる短いお話、本多信一さんの「幸福に生きた内気なネコの話」をご紹介します。

1. どんなお話?

一匹の内気なネコが、生まれてから十三歳になるまでを、年齢ごとの短い言葉でふり返っていく物語です。

派手な事件が起こるわけではありません。けれど読み終えると、胸の奥が少しあたたかくなる。そんな静かなお話です。

2. 内気なネコがたどった十三年
  • 〇歳生まれてすぐ、母ネコと離ればなれになります。まだ歩くこともできないころでした。
  • 〇.一歳食べものを探して外へ出ても、やさしそうな声の先で冷たい仕打ちにあいます。世界から見放されたように感じる日々でした。
  • 一歳料亭に拾われ、看板ネコとして人々を笑顔にする役目を担います。かわいがられながらも、心の中ではずっと何かと闘っていました。
  • 四歳店がなくなって町へ戻ると、犬に襲われ、死の恐怖を味わいます。そこで初めて「生きたい」と強く願います。
  • 六歳ネコたちの集まりで「人生でいちばん大切なもの」が話題に。「声の大きさだ」と言い切る仲間を前に、ネコは黙って、自分は小さな声のままでいいと思います。
  • 八歳体調を崩しながらも、ねずみをとる工夫を重ねます。何かを得れば何かを手放す。過ぎたことは追わず、前へ進みます。
  • 九歳長い病の中で母の夢を見ます。夢の母は、ネコが幼いころと何も変わっていないことを告げます。
  • 一三歳長い道のりの末に気づきます。自分は最初から自分だったのだと。母はもういないけれど、いつも一緒にいるのだと。
3. 「声の大きさ」より大切なもの

世の中では、はっきり主張できる人、声の大きい人が評価されやすいものです。会議でも学校でも、「もっと積極的に」と言われた経験がある方は多いのではないでしょうか。

でもこのネコは、声の大きさを競う輪に加わりませんでした。ただ静かに聞き、自分は小さな声のままでいいと決めたのです。

💡 ポイント

内気な人がもっている「よく聞く力」「じっくり考える力」は、弱さではなく、その人らしい強さです。無理に大きな声を出さなくても、ちゃんと生きていけます。

4. 遠回りも、ぜんぶ自分の道

人に合わせて笑顔をふりまいた時期。怖い思いをした時期。病に伏せた時期。ネコの十三年は、遠回りの連続に見えます。

けれど最後にネコは、その長い道のりも、結局は「自分の中を歩いてきただけ」だったと気づきます。どの時期も、自分に戻ってくるために必要な道だったのです。

こんなことはありませんか。

  • 人に合わせて笑ったあと、ひとりになるとぐったり疲れてしまう
  • にぎやかな集まりより、静かな時間にほっとする
  • 「もっと積極的に」と言われるたびに、自分を責めてしまう
  • 大切な人との別れを、いまも心のどこかで抱えている

ひとつでも当てはまるなら、このネコの話はきっとあなたに届くはずです。変わらなくていい。失ったものも、離れた人も、心の中でちゃんと一緒にいる。この物語は、そう静かに教えてくれます。

内気なままでいい
5. よくある質問
Q. 内気な性格は、直したほうがいいのでしょうか?

無理に直す必要はありません。内気さは「欠点」ではなく「持ち味」です。大切なのは、自分に合った人との関わり方や、働き方・暮らし方を見つけることです。

Q. 人づきあいで疲れてしまうときは、どうすればいいですか?

ひとりで静かに過ごす時間を、意識して予定に入れてみてください。散歩や自然の中で過ごす時間は、心を回復させる助けになります。

Q. こうした生きづらさについても相談できますか?

はい、できます。社会福祉士として、働き方や人間関係、これからの生き方についてのご相談をお受けしています。うまく言葉にできなくても大丈夫です。

本多信一さんの著書はAmazonでご覧いただけます。

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「今日の昼、何を食べたっけ」——あれだけ楽しみにしていたのに、もう忘れていた

人生相談コラム

〜 食べ物への執着を、少し違う角度から 〜


1. 「今日の昼、何を食べたっけ」

「今日の昼、何を食べましたか」

すぐ答えられますか。

食べた直後なら当然覚えています。でも、三時間後、四時間後になると、ふと「あれ、何だったっけ」となることがある。あれだけ楽しみにして、おいしく食べたはずなのに、その体験がもうひどく薄い。

これは記憶力の問題ではありません。むしろ、これがふつうの状態です。

問題は別のところにあります。それだけ薄くなってしまう体験のために、私たちは一日のかなりの時間とエネルギーを使っている、ということです。

2. あれだけ楽しみにしていたのに

「今日の昼はあの店に行こう」「帰りにあれを買って帰ろう」——朝からそう考えていることがあります。

食べている最中は確かにおいしい。満足感もある。でも食べ終わって、しばらく経つと、あの体験はどこへ行ったのでしょう。

楽しみにしていた時間も、おいしかった記憶も、気がつけばひどく薄くなっている。なのに次の食事のことを、またもう考えはじめている。

💡 気づいたこと

私たちは食べ物を求めているようで、実は「食べる前の期待」と「食べている最中の数分間」だけを繰り返し求めているのかもしれません。

3. 「おいしい」は、食べている数分間だけにある

一度、食事の体験を三つに分けて眺めてみてください。

  • 食べる前——期待している。頭の中にある体験。
  • 食べている最中——実際においしい。これだけが本物の体験。
  • 食べた後——記憶として残る。またも頭の中にある体験。

「おいしい」が実際に存在しているのは、真ん中の数分間だけです。前後はすべて頭の中の話です。

仏教が昔から言っていたこと

仏教では、人間が外の世界を受け取る窓口は六つしかないと説明されてきました。目・耳・鼻・舌・体・心です。そして、ひとつの窓口はごく一部しか受け取っていない。

舌が受け取っているのは「味」だけ。目は「形と色」だけ。鼻は「香り」だけです。私たちはこれらの断片を頭の中で組み合わせて「あのラーメンは最高だ」と結論づけています。

さらに言えば、体調が悪い日は大好物でもおいしくない。気分が乗らない日は、好きな音楽さえ耳障りに感じる。「おいしさ」は食べ物の側にあるのではなく、こちらの状態の側にある。同じ食べ物が、日によって全然違うものになるのはそのためです。

つまり私たちは、食べ物を追いかけているようで、実は自分の頭の中にある「おいしさのイメージ」を追いかけているのです。

4. それでも、また食べたくなる

ここまで読んで、「それでも食べたい気持ちは消えないけど」と思った方がほとんどではないでしょうか。

それはそうです。消えません。

人間は刺激を求めるようにできていて、食べることはその中でいちばん手軽で確実な刺激です。忘れると分かっていても、また食べたくなる。これは意志の問題でも、だらしなさの問題でもありません。

ただ、ここで一つだけ視点が変わります。

「自分は今、食べ物を求めているのか。それとも、食べる前の期待感を求めているのか」

この問いを一度持つだけで、食欲との関係が少し変わってきます。

5. 「どうせ消える」を、俯瞰に使う

何かを食べたくなったとき、こう思ってみることがあります。

「この満足感は、数時間後には消えている」

これはネガティブな思い込みではありません。実際にそうだからです。そしてこれは、欲求にも同じことが言えます。今これだけ強く引っ張っているこの欲求も、数時間後には消えている。

我慢しなくていいのです。ただ、少し高いところから見てみる。「今感じているこの強さは、本当にこれだけ強いのか」と確認してみる。

気づいた瞬間に、引っ張る力がすっと弱くなることがあります。欲求と戦わずに、欲求から少し距離が取れる瞬間です。

💡 これは我慢ではありません

「食べてはいけない」と抑えつけるのではなく、「これはどこから来ているのか」と一度見てみる。それだけです。見た結果、食べてもかまいません。

食べ物への執着を、少し違う角度から
6. 忘れるから、今が本物になる

食べたことをすぐ忘れるのは、欠落ではありません。

むしろ、今この一口だけが本物の体験であることを教えてくれています。前の期待も、後の記憶も、頭の中の話です。口の中にあるこの瞬間だけが、実際に起きていることです。

「どうせ忘れる」と知っているからこそ、今この味に集中できる。そちらのほうが、ずっと豊かな食べ方かもしれません。

食べることを減らす必要はありません。ただ、食べる前の期待と、食べている最中と、食べた後を、少しだけ区別して眺めてみてください。それだけで、食べ物との関係がほんの少し変わります。

7. よくある質問

Q. 食べるのが好きなのに、こう考えると楽しくなくなりませんか?

逆に楽しくなる方が多いようです。「食べる前の期待」と「今この味」を区別して意識するようになると、食べている最中の体験が濃くなります。「どうせ忘れる」と知りながら食べる一口は、流れ作業で食べる一口より、ずっと鮮明です。

Q. 食後に忘れるのは、何か問題があるのでしょうか?

これはふつうのことです。体験というのは、過ぎた瞬間から記憶に変わり始め、記憶はどんどん薄くなります。食事に限らず、どんな体験もそうです。問題があるとすれば、忘れることではなく、「忘れるほど流れ作業で食べていた」という状態のほうです。

Q. 「どうせ消える」と思ったら、食事がつまらなくなりそうです

「どうせ消える」を、あきらめとして使うのではなく、「今この瞬間だけが本物だ」という意味で使ってみてください。消えるからこそ、今ここにあるものが際立ちます。食べることの楽しさは、減るのではなく、今この一口に集まってきます。
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「食べたい」のか「食べたいだけ」なのか。56歳、甘いものと向き合ってみた

人生相談コラム

〜 食べたいのか、食べたいだけなのか 〜


1. 今日も「何を食べようか」ばかり考えている

毎朝4時半に起きて、近所の神社まで歩いて、少しのあいだ座ってきます。帰ってくるとまだ6時前です。

頭の中は静かになっているはずなのに、台所に立った瞬間、もう考えているのです。今日の昼は何にしようか。あの店のあれが食べたい。そういえば戸棚にまだお菓子が残っていたな、と。

56歳になりました。この歳になっても、私の一日はかなりの時間を「何を食べるか」に使っています。甘いものが我慢できません。食べないほうがいいと分かっている夜ほど、なぜか手が伸びます。

この文章は、それを克服した人間が書いているものではありません。今も執着したままの人間が、ときどきだけ、するりとそこから抜けられる瞬間があって、そのときに何が起きているのかを書いています。

2. 「お腹が空いた」と「食べたい」は、別のものだった

あるとき、ふと気づいたことがあります。

お腹は、鳴っていないのです。

昼をしっかり食べた三時間後。胃は明らかに満ちている。それなのに、甘いものが欲しい。つまりこれは、体が「足りない」と言っているのではない。体ではなく、心のほうが呼んでいるのです。

私たちはこの二つを、ずっとひとまとめにして「お腹が空いた」と呼んできました。でも本当は別物です。

💡 ここだけ覚えていただければ十分です

空腹=体からの信号。食べたい=心からの信号。この二つは、まったく別のところから来ています。

3. 味を知っているのは、舌だけ

仏教では昔から、人間が外の世界を受け取る窓口は六つしかない、と説明されてきました。目、耳、鼻、舌、体、そして心です。

この考え方が面白いのは、ひとつの窓口は、ごく一部しか受け取っていないという点です。

  • 目が受け取っているのは、形と色だけ
  • 鼻が受け取っているのは、香りだけ
  • 舌が受け取っているのは、味だけ
  • 手が受け取っているのは、かたさと温度だけ

目の前のケーキひとつをとっても、私はその全体を知ってはいません。ばらばらに届いた断片を、頭の中で組み立てて「あのケーキは最高だ」と思い込んでいるだけなのです。

体調の悪い日は、大好物でもおいしくない

思い当たることがあるはずです。風邪をひいた日に、大好きなうなぎを食べても、ちっともおいしくない。イライラしている日は、好きな音楽さえうるさく感じる。

これは、おいしさが食べ物の側にあるのではないということです。おいしさは、こちらの状態の側にある。

同じケーキが、日によって最高にもなれば、なんでもないものにもなる。だとすれば、私が追いかけているのは本当にそのケーキなのでしょうか。

4. 気がつくと、主導権が食べ物のほうにある

私たちは、生きている実感がほしくて刺激を求めます。そして刺激の中で、いちばん手軽で、いちばん確実なのが食べることです。

だから、いろいろな理由をつけて食べます。

  • 流行っているらしいから
  • せっかくここまで来たから
  • 体にいいと言われたから
  • 疲れているから、これくらいは
  • なんとなく、口が寂しいから

気がつくと、私は「食べている」のではなく「食べさせられている」。主導権が、いつのまにか食べ物のほうに移っているのです。

これは意志が弱いという話ではないと思っています。人間がもともとそういう仕組みで動いているというだけのことです。

5. 引き出しに手が伸びて、「あっ」と気づいた日

ここからが、この記事でいちばん書きたかったことです。

家に、お菓子があります。あるとわかっているのです。そして夜になると、体が勝手に動きます。台所に立って、引き出しに手をかけている。何かを決めた記憶はありません。気がついたら、もうそこにいるのです。

あの瞬間

引き出しを半分ほど開けたところで、ふいに、こう思うことがあります。

「あっ、これは空腹じゃない。食べたいだけだ」

そうすると、手が止まります。そのまま、すっと引き出しを閉じて、台所を出られる。そういう日があるのです。

大事なのは、このとき我慢していないということです。歯を食いしばってこらえたわけでも、意志の力で勝ったわけでもありません。

気づいた瞬間に、欲しさのほうが、勝手にしぼんだのです。

あれだけ強く私を引っぱっていたものが、こちらが正面から見た途端、ふっと力を失う。あの感覚は、経験してみるとちょっと不思議です。

もちろん、いつもうまくいくわけではない

正直に書きます。うまくいくのは、三回に一回くらいです。

「あっ」と気づいたのに、そのまま食べてしまう日もあります。気づきさえしないで、食べ終わってから「また食べたな」と思う日もあります。

でも、それでいいのだと今は思っています。うまくいかなかった日は、単にうまくいかなかっただけで、失敗ではありません。気づけた日が、ちゃんとある。それが事実です。

6. 我慢するのではなく、見てみることにした

私がやっているのは、この三つだけです。どれも「減らす」ための方法ではありません。気づく回数を増やすための方法です。

① 食べる前に、いったん眺める

口に入れる前に、二秒でいいので形と色と香りを見ます。じっと睨むのではなく、ただ普通に眺めるだけです。この二秒が、自動操縦を一度切ってくれます。

② 一口目だけ、ゆっくり噛む

全部をゆっくり食べるのは、私には続きませんでした。だから一口目だけです。これ以上は噛めないというところまで噛んで、味がどう変わっていくかを見てみる。不思議なもので、一口目を丁寧に扱うと、その後の食べ方が少し落ち着きます。

③ 手が伸びたとき、一回だけ自分に聞く

「今のこれは、空腹か。それとも食べたいだけか」

答えが出なくてもかまいません。聞いた時点で、もう気づいているからです。

💡 量を減らすことは、目的にしていません

減らすことが目的になると、今度は「減らせない自分」を責めはじめます。それは執着がひとつ増えただけです。ここでやっているのは、あくまで気づくところまでです。

食べたいのか、食べたいだけなのか
7. 食欲は消えない。でも気づける回数は増える

以前このサイトで、煩悩は消さなくていい、「あ、またやってる」と気づくだけでいい、という話を書きました。食欲もまったく同じでした。

56歳になっても、甘いものはやめられません。今日も何を食べようかと考えています。たぶん来年も同じでしょう。

それでも、以前は週に一度も気づけなかったものが、今は二度くらい気づけるようになりました。引き出しを閉じられる日が、少しだけ増えた。

私にとっての進歩は、その程度のものです。でも、それで十分だと思っています。気づけた瞬間だけ、私は食べ物ではなく自分の側に戻っているからです。

もし今、同じように食への執着で自分を責めている方がいらっしゃったら、こうお伝えしたいのです。意志が弱いのではありません。人間はもともとそうできている。だから戦わなくていい。ただ、引き出しに手をかけたその瞬間に、一度だけ気づいてみてください。

8. よくある質問

Q. 食べてしまうのは、意志が弱いからでしょうか?

意志の強さの問題ではないと考えています。人間はもともと刺激を求めるようにできていて、食べることはその中でいちばん手近な刺激だからです。必要なのは強い意志ではなく、自分が今どちらの信号で動いているのかに気づくことです。

Q. 気づいても結局食べてしまいます。意味がないのでは?

気づいた時点で、すでに半分は変わっています。私自身、気づいても食べてしまう日のほうが多いです。それでも「気づかずに食べた」と「気づいたうえで食べた」は、まったく別の経験でした。回数は、あとから少しずつ増えていきます。

Q. これはダイエットの方法ですか?

いいえ、違います。体重や量を管理するための方法ではありません。食べ物に振り回されている状態から、少しだけ自分の側に戻ってくるための、心の扱い方の話です。体重や健康について気になることがある場合は、医師や管理栄養士など専門家にご相談ください。
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この記事は、五合庵社会福祉士事務所(札幌市白石区南郷通14丁目)の代表が、日々考えていることを書いたコラムです。生き方や働き方についてのご相談を承っています。

56歳、「何もしない」が怖くなくなってきた

人生相談コラム

~ 瞑想シリーズ 第3回 ~

1. 56歳、「何もしない」が怖くなくなってきた

最近、少し変わったことに気づきました。
「何もしない時間」が、前ほど怖くなくなってきたのです。

ほんの数年前までは違いました。
休日でも、何かしていないと落ち着かない。
スマホを手に取る。ニュースを開く。SNSをのぞく。
何かを「している」ことで、安心していた気がします。

でも56歳になった今、毎朝の神社で目を閉じている数分間が、一日の中で一番落ち着く時間になっています。
何も生産していない。何も進んでいない。
なのに、帰り道は頭がすっきりしているのです。

2. 何かしていないと不安だった頃

振り返ると、若い頃はずっと「何かしなきゃ」と思って生きていました。

「この時間、もっと有効に使えるんじゃないか」

「同じ年齢のあの人は、もう次のステップに進んでいる」

「ぼんやりしている場合じゃないだろう」

独立してからは、なおさらでした。
会社員なら、席に座っているだけで給料が出る日もあります。
でもひとりで仕事をしていると、動いていない時間は、そのまま収入ゼロの時間です。

だから手を止めることが怖かった。
何かをしている自分でいないと、自分の価値がなくなるような気がしていたのです。

3. 毎朝の神社で気づいたこと

毎朝4時半に神社へ歩くようになってから、少しずつ変わりました。

拝殿の前で目を閉じて立っている時間。
その間、何もしていません。
仕事のことも考えない。スマホも見ない。ただ立っている。

前回の記事で書いたように、実際には10秒もしないうちに何かを考え始めてしまいます。
昨日の記事で書いたように、欲や煩悩がすぐに浮かんできます。

でも、それでいいのだと思うようになりました。
「何も考えない」は無理でも、「何もしなくていい時間をつくる」ことはできます。
そして、その時間があるだけで、帰り道の気分がまるで違うのです。

スマナサーラ長老の教えから、私が受け取ったこと

心はじっとしていられない。次々に何かを考えるのが心の性質。
それを止めようとするのではなく、「今、何かを考えているな」と知ること。
それだけで、心は少し静かになる。

「何もしない」は、本当は「何もしない練習をしている」のかもしれません。
練習だから、うまくいかなくても気にしなくていい。
そう思えるようになったことが、一番大きな変化でした。

4. 「何もしない」と「怠けている」は違う

「何もしない」と聞くと、怠けている感じがするかもしれません。
でも、この二つはまったく違うものだと思っています。

怠けている何もしない
やるべきことはあるけど避けているいったん横に置いている
気持ちは後ろめたい穏やか
時間の感覚ダラダラと過ぎる静かに流れている
そのあとはさらに動けなくなる自然に動き出せる

怠けているときは、後ろめたさがあります。
「やらなきゃ」と思いながら動けない。それが余計にしんどくなります。

一方で、「今は何もしない」と決めて過ごす時間には、後ろめたさがありません。
むしろそのあとのほうが、すっと仕事に入れることが多いのです。

5. 頭を空っぽにしなくていい

瞑想というと、「頭を空っぽにする」イメージがあるかもしれません。
私も最初はそう思っていました。

でも実際には、頭を空っぽにするのは無理です。
目を閉じた瞬間から、次々に何かが浮かんできます。

  • 今日の予定のこと
  • 昨日食べたものの味
  • ふと思い出した誰かの顔
  • 「そういえば、あれどうなったかな」

浮かんでくること自体は、止められません。
でも「あ、今なにか浮かんできたな」と気づいたら、それでもう十分です。

気づいた瞬間、ほんの一瞬だけ、考えごとから離れています。
その一瞬が、朝の空気や鳥の声を感じる隙間になります。

前回の記事で書いた「10秒も集中できない」のも、昨日書いた「あ、またやってる」も、この一瞬の話です。
たったそれだけのことですが、毎朝続けているうちに、日中の過ごし方も少しずつ変わってきました。

56歳、「何もしない」が怖くなくなってきた
6. 内向的な人にとっての「何もしない」

内向的な人は、ひとりの時間が好きです。
でも「ひとりの時間」と「何もしない時間」は、意外と別のものです。

ひとりでいても、本を読んだり、調べものをしたり、手を動かしていることが多い。
つまり「ひとりで何かをしている時間」であって、本当に何もしない時間は少ないのです。

内向的な人こそ、一日に5分でいいから「何もしなくていい時間」をつくってみてほしいと思います。
場所はどこでもいい。椅子に座って目を閉じるだけでもいい。
散歩の途中で立ち止まるだけでもいい。

生産しなくていい。進まなくていい。
ただ「ここにいる」という、それだけの時間。

56歳の私が毎朝やっているのも、結局はそれだけのことです。

7. よくある質問

Q. 瞑想は何分くらいやればいいのですか?

決まりはありません。私は神社で立っている数分間だけです。「あ、何か考えていたな」と1回でも気づければ、それで十分だと思っています。

Q. 何もしない時間がもったいないと感じてしまいます。

私もずっとそうでした。でも試しに5分だけやってみると、そのあとの仕事の入り方が違うことに気づくかもしれません。「もったいない」と感じること自体が、何もしない時間が必要なサインかもしれません。

Q. 独立して一人で仕事をしていると、立ち止まるのが怖いです。

よくわかります。手を止めたら収入が止まる、という感覚はリアルです。ただ、焦って動いている時間がすべて成果につながっているかというと、そうでもなかったりします。一度立ち止まって、自分の現在地を確認するような時間があってもいいのではないでしょうか。

Q. 人生相談では、こういった心の持ち方の話もできますか?

はい。仕事の悩みだけでなく、日々の過ごし方、気持ちの整え方、独立してからの孤独感など、何でもお話しいただけます。下のフォームからお気軽にどうぞ。

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毎朝4時半に神社へ行って瞑想しているけど、10秒も集中できない話

人生相談コラム

~ 「また集中が途切れた」が、実は正解だった ~


1. 毎朝4時半、神社への道を歩きながら

目覚ましが鳴るのは、4時半。

まだ空が暗い中、身支度をして外に出ます。向かう先は近くの神社です。境内で手を合わせ、御神水を汲んで帰ってくる。それだけで40分ほどかかります。

別に信心深いわけでも、修行僧になりたいわけでもありません。ただ、この早朝の散歩が、一日の始まりとして体に馴染んでいる。そして歩きながら、できる限り瞑想しようとしています。「しようとしている」というのが、正直なところです。

最初に断っておくと、私はまったく瞑想が「うまく」ありません。この記事は、瞑想の成功体験を書いたものではなく、毎朝ほぼ失敗しながら続けている人間の、正直な記録です。

2. 「膨らむ膨らむ……縮む縮む」と唱えながら歩く

私が実践しているのは、スマナサーラ長老(日本テーラワーダ仏教協会)が伝えるヴィパッサナー瞑想を、歩行に応用したやり方です。

本来の坐る瞑想では、お腹の動きに意識を向けながら「膨らみ…縮み…」と心の中で実況し続けます。息を吸ったらお腹が膨らむ。息を吐いたら縮む。ただそれだけを、観察し続ける。

私はこれを歩きながら応用しています。呼吸と歩調を合わせながら、心の中でこう唱えます。

吸うとき:膨らむ 膨らむ 膨らむ……
吐くとき:縮む 縮む 縮む……

歩きながら深呼吸し、それに言葉を添えて意識を呼吸に留め続ける。シンプルですが、これがなかなか難しい。

本来の歩く瞑想では、 「上がる、運ぶ、降りる」 ですが、私はの場合、これをやると膝に負担がかかるようなので、「膨らむ、縮む」に変えました。
💡 歩く瞑想について

テーラワーダ仏教の記録によれば、悟りを開いた修行者の多くは、座る瞑想よりも歩く瞑想に長い時間を費やしたとされています。眠くならない、体と心の調和が早まる、そして日常の中でそのまま実践できる。歩く瞑想には、座禅にはない実用的な強みがあります。

3. でも、10秒ともたない

正直に書きます。

「膨らむ膨らむ……」と唱え始めてから、10秒も経たないうちに、別のことを考え始めています。

向こうから人が歩いてくる。暗いし、ちょっと怖いな。
今日は午前中に〇〇さんとの打ち合わせがある。
昨日、あのLINEの返し方、まずかったかもしれない……

気がつくと、仕事のスケジュール、昨日の会話の反省、今日の夕飯のこと、先週読んだ本の内容——あらゆる妄想が頭の中を流れています。

「また集中できなかった」

そのたびに、少し恥ずかしい気持ちになります。毎朝やっているのに、いつまで経っても雑念だらけで。悟りどころか、10秒すら自分の呼吸に集中できない。

これが、私の3ヶ月間の実態です。

4. ヴィパッサナーとは「集中する」練習ではなかった

あるとき、スマナサーラ長老の解説を読み返していて、はっとしました。

ヴィパッサナーとは、パーリ語で「ありのままに観る」という意味です。「vi(ヴィ)」は「ありのままに・明瞭に・客観的に」、「passanā(パッサナー)」は「観察する・心の目で見る」。

つまり、「集中し続けること」が目標ではない。

「今この瞬間の自分に、気づくこと」が実践の本質なのです。

雑念が湧いたとき、ヴィパッサナーの用語では「サティ(気づき)」と呼ばれる瞬間が生まれます。「あ、また妄想していた」と気づいた、その瞬間こそが、実践の成功なのです。

💡 ヴィパッサナーの三原則(スマナサーラ長老の教えより)

① スローモーション——できるだけゆっくりと、動作を丁寧に行う
② 実況生中継——今していることを、頭の中で言葉で確認し続ける
③ 感覚の変化を感じ取る——解釈せず、ただ感じる

この三つを守って行動することが、ヴィパッサナーの実践です。「完全に集中し続ける」は含まれていません。

私はずっと、「集中が途切れること」を失敗だと思っていました。でも、そうではなかった。「途切れたことに気づく」——その気づきの瞬間こそが、この瞑想の核心だったのです。

5. 「気づいて戻す」の繰り返しが、心を育てる

この理解が変わってから、歩く時間が少し楽になりました。

妄想が浮かぶ。気づく。呼吸に戻す。また妄想が浮かぶ。気づく。戻す。

一度の40分の散歩で、この「気づいて戻す」を何十回と繰り返しています。うまくできているとも言えないし、下手だとも言えない。ただ、繰り返している。

「私たちは、ちょっとしたことで感動したり、悲しくなったり、暗くなったりしてしまいますが、このまだ育っていない子供のような心は成長できるはずです」
——アルボムッレ・スマナサーラ長老

子供のような心、という表現が刺さります。心は最初からできあがっているものではなく、練習によって育てるものだ、という考え方です。

筋肉トレーニングに似ているかもしれません。一回一回の「気づいて戻す」という動作が、心の筋肉を少しずつ鍛えている。目に見えて変化するわけではないけれど、確実に何かは積み重なっているはずだ、と信じながら続けています。

一般の人が悟りに近づくのは、なぜ難しいのか

「瞑想で悟りを得たい」と思って始める人は多いと思います。私もそうでした。

でも実際にやってみると、悟りどころか、呼吸に10秒も集中できない。この「理想と現実の落差」に、多くの人が挫折します。

その原因の一つは、私たちの日常の脳が「常に何かを考え続ける」ようにできているからです。スマナサーラ長老の言葉を借りれば、脳は「評価を下したり、防御や攻撃をしたり、無意識のうちに自動反応している」状態がデフォルトです。

瞑想は、その自動反応に「気づく」練習です。自動反応を止める練習ではありません。止めようとするから苦しくなる。ただ気づくだけでいい、と知ったとき、少しだけ前に進めた気がしました。

  • 「集中できない」は失敗ではなく、気づきのチャンス
  • 妄想に気づいた瞬間、それがすでに瞑想の成功
  • 悟りは遠くても、「今ここに戻る」練習は今日から始められる
  • 完璧を目指さない。ただ続けることに意味がある
6. 悟りは遠くても、朝の40分は確かに変わる

誤解のないように書いておきますが、私は悟りには程遠いです。

毎朝神社に通い、ヴィパッサナーを実践していても、昨日の仕事の失敗を引きずることもあるし、理不尽な出来事に腹が立つこともある。人間の感情はそんなに簡単には変わりません。

でも、一つだけ変わったことがあります。

「気づくのが少し、早くなった」という感覚です。

怒りや不安が湧いたとき、かつては気づかないまましばらく引きずっていたものが、「あ、今自分は焦っているな」「これは怒りだな」と、少し早めに気づけるようになった。気づいてしまえば、感情に飲み込まれる時間が短くなります。

それだけのことですが、一日の始まりの40分がそれを少し育ててくれている気がしています。

もし「瞑想に興味はあるけど、うまくできないから続かない」という方がいれば、伝えたいことがあります。

うまくできなくて、当然です。私も今日もうまくできませんでした。それでも神社への道を歩き、膨らむ縮むと唱え、また妄想して、また気づいて戻す。その繰り返しを、明日も続けます。


人生の迷いや悩みについて、一人で考えていても答えが出ないと感じることはありませんか。そんなときは、話を聞く場所があることも知っておいてください。

自然の中でひとり過ごす時間

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※ 本記事は筆者の個人的な瞑想実践の記録です。スマナサーラ長老・日本テーラワーダ仏教協会の公式見解ではありません。瞑想の実践に関心のある方は、同協会の書籍・法話をあわせてご参照ください。

一人の時間と自然が教えてくれること|人生のアイデアは静かな場所で生まれる

人生相談コラム

~ 答えは会議室ではなく、森や湖のそばにあった ~


1. 連休が終わるとき、ふと感じる「もったいなさ」

シルバーウィークや大型連休が終わりに近づくと、なんとも言えない気持ちになることはありませんか。

「結局、どこにも行かなかったな」
「行きたい場所はあったのに、誰かと予定が合わなくて」
「家でゴロゴロして終わってしまった」

でも、本当にもったいなかったのは「どこにも行かなかったこと」ではありません。

もったいなかったのは、「一人の時間」を自分に許さなかったこと。

実はこの「一人で過ごす時間」こそが、あなたの人生を次のステージに動かす力を持っています。

2. 自然の中で「ひとり」になると、なぜアイデアが湧くのか

私は若い頃から、一人で自然の中にいるのが好きでした。

北海道は恵まれた土地です。車を少し走らせれば、支笏湖、定山渓、ニセコの山々、大雪山の裾野。札幌市内でも、円山の森や藻岩山に入ればすぐに街の喧騒が消えます。

そうした場所でぼんやり過ごしていると、不思議なことが起きます。

「あ、あの仕事、こうすればいいんだ」
「自分が本当にやりたかったことって、これかもしれない」
「別にあの人に認めてもらわなくても、いいんじゃないか」

誰に聞いたわけでもないのに、答えのようなものがすっと浮かんでくる。これは偶然ではありません。

なぜ自然の中で発想が生まれるのか

人間の脳は、情報が少ない静かな環境に置かれると、「デフォルトモードネットワーク」と呼ばれる回路が活性化します。これは、ぼんやりしているときに過去の記憶や将来の展望を自動的に結びつけてくれる脳の機能です。

つまり、自然の中でぼーっとしている時間は、脳が「人生の棚卸し」をしている時間なのです。

3. オフィスでも自宅でも浮かばない理由

「だったら家でじっくり考えればいいじゃないか」と思うかもしれません。

でも、自宅で人生の大きな問いに向き合おうとしても、うまくいかないことのほうが多い。なぜでしょうか。

日常の「ノイズ」が多すぎる

スマホの通知、溜まった家事、テレビの音、LINEの返信待ち。自宅にいると、意識しなくても脳は常に「処理すべきタスク」を探し続けています。

オフィスではさらにそうです。メール、電話、上司の顔色、締め切り。そんな環境で「自分はこれからどう生きたいか」なんて考えられるはずがありません。

場所を変えることの力

これは「転地効果」と呼ばれるもので、昔から湯治や保養で知られてきた知恵です。物理的に場所を変えるだけで、思考の枠組みそのものが変わります。

わざわざ遠出する必要はありません。普段のルートを外れて、近くの公園や川辺を歩くだけでも効果があります。大切なのは、「日常の延長線上にいない」という感覚です。

4. 私が定山渓のほとりで見つけたもの

少し個人的な話をさせてください。

私はもともと、集団に馴染めないタイプの人間でした。会社という組織で出世しようとか、大きな成果を出そうとか、そういう野心は持てなかった。

20代の頃ある時、私はお父さんに誘われて定山渓温泉に行きました。もういい年でしたので、両親と3人で温泉なんてなかなか行かなかったのですが、なぜかその時は、まぁいいかと思って行きました。そして特に目的もなく一人定山渓の麓を眺めていました。

そのとき、ふと思ったのです。

「自分は人に何かを教えるのは苦手だけど、
話を聞いて、一緒に考えることならできるかもしれない」

それが、今の「個人のための無料人生相談」という仕事の原点です。

振り返れば、独立開業の決断も、社会福祉士の資格を取ろうと思ったことも、すべて一人で自然の中にいるときに浮かんだアイデアでした。会議室で生まれたものは、一つもありません。

「何も決まっていない」のが、いい状態

一人で自然の中にいるとき、無理に答えを出そうとする必要はありません。「まだ何も決まっていない」「まだ考え中」という状態こそ、脳が自由に発想できる余白です。結論を急ぐと、たいてい「今までと同じ選択」に落ち着いてしまいます。

5. 「一人の時間」は贅沢ではなく、人生の必需品

日本社会では「一人でいること」にネガティブなイメージがつきまといます。

一人で食事をすると「ぼっち飯」。一人で旅行に行くと「寂しくないの?」。一人で映画を観ると「誰もいなかったの?」。

でも、考えてみてください。

あなたの人生を変えるような大きな決断は、大勢の飲み会で生まれましたか? グループLINEのやりとりから生まれましたか?

たいていは、一人で静かに考えているときに、心が決まったはずです。

一人の時間は贅沢品ではありません。特に「このままでいいのか」「人生を変えたい」と感じている人にとって、それは必需品です。

  • 一人の時間は「孤独」ではなく「自分との対話」
  • 答えは誰かからもらうものではなく、自分の中にある
  • 自然が教えてくれるのではなく、自然が「邪魔をしない」から気づける
  • 焦って答えを出す必要はない。ただ余白をつくるだけでいい
自然の中でひとり過ごす時間
6. 今日からできる、小さな「ひとり自然時間」のつくり方

「忙しくて自然の中に行く時間なんかない」という方もいるでしょう。大丈夫です。大げさなことをする必要はありません。

週に一度、30分だけ外を歩く

近所の公園でも、河川敷でも構いません。スマホはポケットにしまって、ただ歩く。それだけで十分です。

「何も考えない時間」を自分に許す

効率を求めるクセがついている人ほど、「何もしない時間」に罪悪感を感じます。でも、その「何もしない時間」こそが、脳の最も創造的な時間帯です。

一人旅のハードルを下げる

泊まりがけの旅行でなくても、日帰りで十分です。札幌なら、朝早く出て支笏湖に行き、湖畔で温泉に入って夕方には帰れます。それだけで、頭の中がリセットされるのを実感できるはずです。

一人が苦手な方へ

「一人でいるのが好き」という人ばかりではないことも分かっています。もし一人で考え事をするのが苦手なら、誰か一人だけ、あなたの話を邪魔しないで聞いてくれる人がいれば十分です。

それが友人でも、家族でも、あるいは私のような相談の仕事をしている人間でも構いません。大事なのは、「自分のための時間」を持つことです。


人生を変えるきっかけは、意外と静かな場所に転がっています。次の休みの日、ほんの少しだけ、一人で外に出てみてください。何も持たず、何も決めず、ただ風を感じるだけで大丈夫です。

そんな段階でのご相談を歓迎しています。



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このままでいいのか、と感じたシルバーウィーク|人生相談

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人生相談コラム

〜 連休中に浮かんだ「違和感」は、あなたからのサイン 〜


シルバーウィーク、いかがお過ごしでしょうか。

ゆっくり休めた方もいれば、家族と過ごしながらも「なんとなく晴れない気分のまま連休が終わりそう」という方もいらっしゃるかもしれません。

じつは、私のところに相談が来るのは、こういう「まとまった休みの後」が多いんです。

普段は仕事に追われて考えないようにしている「あの気持ち」が、休日になると浮かんでくる。

今日はそんな気持ちについて、書いてみたいと思います。


1. 連休中に浮かぶ、あの気持ち

普段は朝の通勤電車に揺られ、会議に出て、日報を書いて、帰る。
その繰り返しの中では考えないようにしていることが、連休になると急に頭をもたげてくる。

「このまま同じ会社に居続けていいのだろうか」

「毎日こんなに疲れているのに、何のために働いているんだろう」

「もし独立したら……いや、でも怖いな」

「自分には、もっと合った生き方があるんじゃないか」

こういう気持ちが浮かんでくる連休は、ある意味で「正直な自分」が顔を出している時間だと思います。

忙しさというノイズが消えた瞬間に、本当の自分の声が聞こえてくる。
それは「考えすぎ」なのではなく、あなた自身からのサインです。


2. 「考えすぎ」じゃなくていい

「せっかくの休みなのに暗いことばかり考えてしまった」と自分を責める方がいらっしゃいます。

でも、私はそれは違うと思っています。

休日にそういう気持ちが出てくるのは、あなたが今の状況を真剣に考えている証拠です。

💡 相談に来られる方の共通点

見て見ぬふりをして何年も過ごす人もいれば、「なんか違う」という感覚を手がかりに動き出す人もいる。

その違いは、才能でも行動力でもなく、「気持ちに正直に向き合えるかどうか」。これは多くの方と話してきて感じていることです。

連休中に感じたモヤモヤは、あなたの弱さではありません。
それは、変化への準備が始まっているサインです。


3. 私がダブルライセンスを取った理由

少しだけ、私自身の話をさせてください。

私も以前は「このままでいいのだろうか」と感じていた一人です。

行政書士の資格を取り、社会保険労務士の資格も取り、さらに社会福祉士の資格も取得しました。いわゆる「トリプルライセンス」です。

でも、最初からこの道が見えていたわけではありません。

「今のままじゃ何か足りない」

「自分にはもっとできることがあるはずだ」

そんな漠然とした違和感がスタートでした。

だから、今あなたが感じている「このままでいいのか」という気持ちを、私は否定しません。
むしろ、それがあったからこそ今の自分があると思っています。


4. 「動く」のはもっと後でいい

とはいえ、「じゃあすぐ独立しましょう」とか「会社を辞めましょう」なんて言うつもりはまったくありません。

今の段階で大事なのは、こういうことです

  • 「このままでいいのか」と感じたこと自体を認める
  • その気持ちを「考えすぎ」と片づけない
  • いきなり結論を出そうとしない
  • 誰かに話してみる

特に4つ目。
家族でも友人でもなく、利害関係のない第三者に話すというのが意外と大事です。

家族に話すと心配されるし、友人に話すと「考えすぎだよ」と言われることが多い。
職場の人には当然話せない。

だから「ちょっと聞いてもらいたいだけなんだけど」という相談が、実は一番多いんです。


5. 連休明けにできる、たった一つのこと

もし今この記事を読んで「ちょっと自分のことかも」と思ったなら、やってみてほしいことが一つだけあります。

📝 今の気持ちを、スマホのメモに書いてみてください

「今の仕事の何が嫌か」「本当はどうしたいか」「怖いと感じていること」

整理する必要はありません。思いつくままに、箇条書きでOKです。

書くだけで、驚くほど頭の中がクリアになります。

そして、そのメモを持って誰かに話してみる。
それが友人でもいいし、私でもいい。

大きな決断は、その後でいいんです。


→ あわせて読みたい:
「会社員に向いていない人の生き方とは?内向型・独立志向の方への人生相談」

→ 内向型の人が仕事で疲れやすいのはなぜ?


✍ この記事を書いた人

筒井 久司(つつい ひさし)

五合庵社会福祉士事務所 代表
行政書士・社会保険労務士・社会福祉士

札幌を拠点に、「会社員として生きづらさを感じている方」「独立開業を考えているが一歩が踏み出せない方」の人生相談を行っています。資格や経験を活かしたキャリア相談から、漠然とした不安の整理まで、まずは話を聞くことから始めます。

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※ 本記事は筆者の経験と相談事例をもとにした個人の見解です。具体的な法律相談・キャリア相談については個別にお問い合わせください。

会社員に向いていない人の生き方とは?内向型・独立志向の方への人生相談

「会社員が向いていないのかもしれない」

そう感じたことが、一度でもありますか?

朝、会社に行くのが辛い。会議で発言できない。上司や同僚とうまくやれない。残業や飲み会が苦痛でたまらない。

でも、だからといって「じゃあどうする?」という答えが見つからない。転職しても同じことの繰り返しになりそうで、一歩が踏み出せない。

そんな方が、五合庵社会福祉士事務所にはよく相談にいらっしゃいます。

「会社員に向いていない人」は、本当にいる

まず、お伝えしたいことがあります。

「会社員に向いていない」というのは、性格の欠点でも、努力不足でもありません。

人間には、大きく分けて2つのタイプがあります。集団の中でエネルギーを得る「外向型」と、一人の時間や深い集中の中でエネルギーを得る「内向型」です。

会社という組織は、そもそも「外向型」が動かしやすい仕組みでできています。大勢での会議、活発なコミュニケーション、目立つことへの評価——。これらが得意な人が出世し、活躍しやすい構造になっています。

内向型の人が「会社でうまくやれない」のは、当然と言えば当然のことなのです。

内向型の人が感じやすい「生きづらさ」

こんな悩みはありませんか?

– 職場の雑談や飲み会が消耗する
– 大勢の前で話すと頭が真っ白になる
– 「もっと積極的に」と言われるが、どうすればいいかわからない
– 一人でじっくり考える仕事は得意なのに、評価されない
– 自分に合っている仕事が何なのか、まったくわからない
– 転職を繰り返しても、同じ悩みが続いている

これらは、あなたの「弱さ」ではありません。内向型の人が、外向型向けに設計された環境に置かれたときに起きる、ごく自然な反応です。

 

 では、内向型の人はどう生きればいいのか

答えは一つではありません。でも、方向性はあります。

「外向型に合わせて頑張る」ではなく、「内向型の強みを活かせる場所・仕事を探す」こと。

具体的には、こんな選択肢が考えられます。

1. 今の職場の中で、自分に合う仕事内容・ポジションを探す
必ずしも転職が正解とは限りません。同じ会社の中でも、一人で集中して取り組める業務や、少人数でのチームに移ることで、働きやすさが大きく変わる場合があります。

2. 「独立・フリーランス」という選択肢を検討する
内向型の人が最も力を発揮しやすいのは、「自分のペースで、自分の得意なことに集中できる環境」です。フリーランスや個人事業は、まさにそれに近い働き方です。資格がなくても始められる仕事も多くあります。

3. 「好きなこと・気になること」を仕事に近づける
「好きな道に賭ける」という選択肢もあります。収入だけを基準に仕事を選ぶのをやめ、自分が本当にやりたいことを起点に考え直す。そこから人生が変わった方を、私はたくさん見てきました。

 相談者からよく聞く言葉

「自分がどうしたいのか、もうわからない」

これが、相談に来られる方の多くが最初におっしゃる言葉です。

長年、「こうしなければならない」という外からのプレッシャーの中で生きてきた結果、自分の本当の気持ちや向き不向きが、わからなくなってしまっているのです。

そういう方に対して、私がしていることはシンプルです。

ただ、話をじっくり聞く。そして、その人の中にすでにある「答えの種」を一緒に見つけていく。

アドバイスを押しつけることはしません。「こうすべき」という正解を出すことも目的ではありません。あなた自身が「こう生きたい」と感じられる道を、一緒に探していくのが、五合庵の人生相談です。

 五合庵の人生相談について

五合庵社会福祉士事務所では、個人の方を対象に、無料の人生相談を行っています。

相談日は毎週火曜日・木曜日・土曜日。完全予約制です。

対象となる相談内容:

– 会社員を続けるべきか、やめるべきか迷っている
– 独立・フリーランス・個人事業に興味があるが、何から始めればいいかわからない
– 自分に合っている仕事・生き方を探したい
– 内向的な自分のまま、幸せに生きる方法を知りたい
– 人生の方向性について、誰かに話を聞いてほしい

資格や経歴は関係ありません。「まだ何も決まっていない」という段階でも、ぜひご相談ください。

運営者について

五合庵社会福祉士事務所の代表・筒井久司(つつい ひさし)は、自身も「集団が苦手な内向型」として生きてきた人間です。

社会福祉士・精神保健福祉士・行政書士・社会保険労務士の資格を持ちながら、「資格のために生きている」のではなく、「人の相談に乗るために、たまたま資格を取った」というのが本人の弁です。

1998年の開業以来、老若男女を問わず、個人の方の人生相談を無料で受け続けています。

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折り返し、相談の日程をご案内します。

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