「今日の昼、何を食べたっけ」——あれだけ楽しみにしていたのに、もう忘れていた
人生相談コラム
〜 食べ物への執着を、少し違う角度から 〜
「今日の昼、何を食べましたか」
すぐ答えられますか。
食べた直後なら当然覚えています。でも、三時間後、四時間後になると、ふと「あれ、何だったっけ」となることがある。あれだけ楽しみにして、おいしく食べたはずなのに、その体験がもうひどく薄い。
これは記憶力の問題ではありません。むしろ、これがふつうの状態です。
問題は別のところにあります。それだけ薄くなってしまう体験のために、私たちは一日のかなりの時間とエネルギーを使っている、ということです。
「今日の昼はあの店に行こう」「帰りにあれを買って帰ろう」——朝からそう考えていることがあります。
食べている最中は確かにおいしい。満足感もある。でも食べ終わって、しばらく経つと、あの体験はどこへ行ったのでしょう。
楽しみにしていた時間も、おいしかった記憶も、気がつけばひどく薄くなっている。なのに次の食事のことを、またもう考えはじめている。
私たちは食べ物を求めているようで、実は「食べる前の期待」と「食べている最中の数分間」だけを繰り返し求めているのかもしれません。
一度、食事の体験を三つに分けて眺めてみてください。
- 食べる前——期待している。頭の中にある体験。
- 食べている最中——実際においしい。これだけが本物の体験。
- 食べた後——記憶として残る。またも頭の中にある体験。
「おいしい」が実際に存在しているのは、真ん中の数分間だけです。前後はすべて頭の中の話です。
仏教では、人間が外の世界を受け取る窓口は六つしかないと説明されてきました。目・耳・鼻・舌・体・心です。そして、ひとつの窓口はごく一部しか受け取っていない。
舌が受け取っているのは「味」だけ。目は「形と色」だけ。鼻は「香り」だけです。私たちはこれらの断片を頭の中で組み合わせて「あのラーメンは最高だ」と結論づけています。
さらに言えば、体調が悪い日は大好物でもおいしくない。気分が乗らない日は、好きな音楽さえ耳障りに感じる。「おいしさ」は食べ物の側にあるのではなく、こちらの状態の側にある。同じ食べ物が、日によって全然違うものになるのはそのためです。
つまり私たちは、食べ物を追いかけているようで、実は自分の頭の中にある「おいしさのイメージ」を追いかけているのです。
ここまで読んで、「それでも食べたい気持ちは消えないけど」と思った方がほとんどではないでしょうか。
それはそうです。消えません。
人間は刺激を求めるようにできていて、食べることはその中でいちばん手軽で確実な刺激です。忘れると分かっていても、また食べたくなる。これは意志の問題でも、だらしなさの問題でもありません。
ただ、ここで一つだけ視点が変わります。
「自分は今、食べ物を求めているのか。それとも、食べる前の期待感を求めているのか」
この問いを一度持つだけで、食欲との関係が少し変わってきます。
何かを食べたくなったとき、こう思ってみることがあります。
「この満足感は、数時間後には消えている」
これはネガティブな思い込みではありません。実際にそうだからです。そしてこれは、欲求にも同じことが言えます。今これだけ強く引っ張っているこの欲求も、数時間後には消えている。
我慢しなくていいのです。ただ、少し高いところから見てみる。「今感じているこの強さは、本当にこれだけ強いのか」と確認してみる。
気づいた瞬間に、引っ張る力がすっと弱くなることがあります。欲求と戦わずに、欲求から少し距離が取れる瞬間です。
「食べてはいけない」と抑えつけるのではなく、「これはどこから来ているのか」と一度見てみる。それだけです。見た結果、食べてもかまいません。
食べたことをすぐ忘れるのは、欠落ではありません。
むしろ、今この一口だけが本物の体験であることを教えてくれています。前の期待も、後の記憶も、頭の中の話です。口の中にあるこの瞬間だけが、実際に起きていることです。
「どうせ忘れる」と知っているからこそ、今この味に集中できる。そちらのほうが、ずっと豊かな食べ方かもしれません。
食べることを減らす必要はありません。ただ、食べる前の期待と、食べている最中と、食べた後を、少しだけ区別して眺めてみてください。それだけで、食べ物との関係がほんの少し変わります。
Q. 食べるのが好きなのに、こう考えると楽しくなくなりませんか?
Q. 食後に忘れるのは、何か問題があるのでしょうか?
Q. 「どうせ消える」と思ったら、食事がつまらなくなりそうです
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