人生相談コラム

~ 「また集中が途切れた」が、実は正解だった ~


1. 毎朝4時半、神社への道を歩きながら

目覚ましが鳴るのは、4時半。

まだ空が暗い中、身支度をして外に出ます。向かう先は近くの神社です。境内で手を合わせ、御神水を汲んで帰ってくる。それだけで40分ほどかかります。

別に信心深いわけでも、修行僧になりたいわけでもありません。ただ、この早朝の散歩が、一日の始まりとして体に馴染んでいる。そして歩きながら、できる限り瞑想しようとしています。「しようとしている」というのが、正直なところです。

最初に断っておくと、私はまったく瞑想が「うまく」ありません。この記事は、瞑想の成功体験を書いたものではなく、毎朝ほぼ失敗しながら続けている人間の、正直な記録です。

2. 「膨らむ膨らむ……縮む縮む」と唱えながら歩く

私が実践しているのは、スマナサーラ長老(日本テーラワーダ仏教協会)が伝えるヴィパッサナー瞑想を、歩行に応用したやり方です。

本来の坐る瞑想では、お腹の動きに意識を向けながら「膨らみ…縮み…」と心の中で実況し続けます。息を吸ったらお腹が膨らむ。息を吐いたら縮む。ただそれだけを、観察し続ける。

私はこれを歩きながら応用しています。呼吸と歩調を合わせながら、心の中でこう唱えます。

吸うとき:膨らむ 膨らむ 膨らむ……
吐くとき:縮む 縮む 縮む……

歩きながら深呼吸し、それに言葉を添えて意識を呼吸に留め続ける。シンプルですが、これがなかなか難しい。

本来の歩く瞑想では、 「上がる、運ぶ、降りる」 ですが、私はの場合、これをやると膝に負担がかかるようなので、「膨らむ、縮む」に変えました。
💡 歩く瞑想について

テーラワーダ仏教の記録によれば、悟りを開いた修行者の多くは、座る瞑想よりも歩く瞑想に長い時間を費やしたとされています。眠くならない、体と心の調和が早まる、そして日常の中でそのまま実践できる。歩く瞑想には、座禅にはない実用的な強みがあります。

3. でも、10秒ともたない

正直に書きます。

「膨らむ膨らむ……」と唱え始めてから、10秒も経たないうちに、別のことを考え始めています。

向こうから人が歩いてくる。暗いし、ちょっと怖いな。
今日は午前中に〇〇さんとの打ち合わせがある。
昨日、あのLINEの返し方、まずかったかもしれない……

気がつくと、仕事のスケジュール、昨日の会話の反省、今日の夕飯のこと、先週読んだ本の内容——あらゆる妄想が頭の中を流れています。

「また集中できなかった」

そのたびに、少し恥ずかしい気持ちになります。毎朝やっているのに、いつまで経っても雑念だらけで。悟りどころか、10秒すら自分の呼吸に集中できない。

これが、私の3ヶ月間の実態です。

4. ヴィパッサナーとは「集中する」練習ではなかった

あるとき、スマナサーラ長老の解説を読み返していて、はっとしました。

ヴィパッサナーとは、パーリ語で「ありのままに観る」という意味です。「vi(ヴィ)」は「ありのままに・明瞭に・客観的に」、「passanā(パッサナー)」は「観察する・心の目で見る」。

つまり、「集中し続けること」が目標ではない。

「今この瞬間の自分に、気づくこと」が実践の本質なのです。

雑念が湧いたとき、ヴィパッサナーの用語では「サティ(気づき)」と呼ばれる瞬間が生まれます。「あ、また妄想していた」と気づいた、その瞬間こそが、実践の成功なのです。

💡 ヴィパッサナーの三原則(スマナサーラ長老の教えより)

① スローモーション——できるだけゆっくりと、動作を丁寧に行う
② 実況生中継——今していることを、頭の中で言葉で確認し続ける
③ 感覚の変化を感じ取る——解釈せず、ただ感じる

この三つを守って行動することが、ヴィパッサナーの実践です。「完全に集中し続ける」は含まれていません。

私はずっと、「集中が途切れること」を失敗だと思っていました。でも、そうではなかった。「途切れたことに気づく」——その気づきの瞬間こそが、この瞑想の核心だったのです。

5. 「気づいて戻す」の繰り返しが、心を育てる

この理解が変わってから、歩く時間が少し楽になりました。

妄想が浮かぶ。気づく。呼吸に戻す。また妄想が浮かぶ。気づく。戻す。

一度の40分の散歩で、この「気づいて戻す」を何十回と繰り返しています。うまくできているとも言えないし、下手だとも言えない。ただ、繰り返している。

「私たちは、ちょっとしたことで感動したり、悲しくなったり、暗くなったりしてしまいますが、このまだ育っていない子供のような心は成長できるはずです」
——アルボムッレ・スマナサーラ長老

子供のような心、という表現が刺さります。心は最初からできあがっているものではなく、練習によって育てるものだ、という考え方です。

筋肉トレーニングに似ているかもしれません。一回一回の「気づいて戻す」という動作が、心の筋肉を少しずつ鍛えている。目に見えて変化するわけではないけれど、確実に何かは積み重なっているはずだ、と信じながら続けています。

一般の人が悟りに近づくのは、なぜ難しいのか

「瞑想で悟りを得たい」と思って始める人は多いと思います。私もそうでした。

でも実際にやってみると、悟りどころか、呼吸に10秒も集中できない。この「理想と現実の落差」に、多くの人が挫折します。

その原因の一つは、私たちの日常の脳が「常に何かを考え続ける」ようにできているからです。スマナサーラ長老の言葉を借りれば、脳は「評価を下したり、防御や攻撃をしたり、無意識のうちに自動反応している」状態がデフォルトです。

瞑想は、その自動反応に「気づく」練習です。自動反応を止める練習ではありません。止めようとするから苦しくなる。ただ気づくだけでいい、と知ったとき、少しだけ前に進めた気がしました。

  • 「集中できない」は失敗ではなく、気づきのチャンス
  • 妄想に気づいた瞬間、それがすでに瞑想の成功
  • 悟りは遠くても、「今ここに戻る」練習は今日から始められる
  • 完璧を目指さない。ただ続けることに意味がある
6. 悟りは遠くても、朝の40分は確かに変わる

誤解のないように書いておきますが、私は悟りには程遠いです。

毎朝神社に通い、ヴィパッサナーを実践していても、昨日の仕事の失敗を引きずることもあるし、理不尽な出来事に腹が立つこともある。人間の感情はそんなに簡単には変わりません。

でも、一つだけ変わったことがあります。

「気づくのが少し、早くなった」という感覚です。

怒りや不安が湧いたとき、かつては気づかないまましばらく引きずっていたものが、「あ、今自分は焦っているな」「これは怒りだな」と、少し早めに気づけるようになった。気づいてしまえば、感情に飲み込まれる時間が短くなります。

それだけのことですが、一日の始まりの40分がそれを少し育ててくれている気がしています。

もし「瞑想に興味はあるけど、うまくできないから続かない」という方がいれば、伝えたいことがあります。

うまくできなくて、当然です。私も今日もうまくできませんでした。それでも神社への道を歩き、膨らむ縮むと唱え、また妄想して、また気づいて戻す。その繰り返しを、明日も続けます。


人生の迷いや悩みについて、一人で考えていても答えが出ないと感じることはありませんか。そんなときは、話を聞く場所があることも知っておいてください。

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※ 本記事は筆者の個人的な瞑想実践の記録です。スマナサーラ長老・日本テーラワーダ仏教協会の公式見解ではありません。瞑想の実践に関心のある方は、同協会の書籍・法話をあわせてご参照ください。